韓国ドラマK-POPをきっかけに韓国リピーターになった日本の人にとっては、韓国=ソウルかもしれないが、私の周りの日本人には韓国=釜山という人が少なくない。

 その理由は釜山の人々の気安さだ。首都ソウルはこの20年間で西洋的な洗練が進み、サラッとした人間関係が定着しつつある。いまどきのキラキラした韓国ドラマはそれを象徴している。

 サラッとしたと言えば聞こえがよいが、それは言い換えれば冷淡ということでもある。1990年代後半に日本に留学していた私が日本人に対して感じた、「スマートだが、人間距離が遠い」という空気が、ここ数年のソウルでも生まれつつあるのだ。

■言いたいことを言い、大声で笑い、泣き、おせっかいだが熱い釜山の人々

 そもそも韓流以前から韓国にハマった日本の人たちのハートをつかんだのは、我が国の人間距離の近さだったと思う。1980年代、1990年代の日本は今より元気だったが、経済成長が頂点を極めた社会に疲れていた人も少なくなかった。

 思いを腹に貯めず言いたいことを言い、大声で笑い、泣き、おせっかいだが熱い韓国人を間近に見て、「ああ、自分もこんなふうに生きていいんだ」と思った日本の人は多かったようだ。

 ソウルから失われつつある熱は、第二の都市釜山ではまだ健在だ。韓国=釜山という人は、そのあたりにこだわりがある人なのだろう。

釜山市の西部から釜山駅と釜山港、釜山港大橋を望む
釜山の傾斜地に住むしかなかった朝鮮戦争避難民が上り下りした1950年代の四十階段
朝鮮戦争避難民がトロ箱を分解した板で作ったバラック小屋の模型