日本の旅行者が釜山に「熱」や「気安さ」を感じる理由のひとつに、釜山人の「開放性」や「寛容性」があるだろう。

 1945年、植民地支配から解放された釜山は、帰国する日本人や国外から韓国に戻る同胞などの往来で混沌としていた。1950年に勃発した朝鮮戦争で、北朝鮮の攻撃を受けなかった釜山は1953年6月の休戦まで臨時首都になり、全国から避難民が押し寄せた。

 そのため、1925年に約10万人だった人口が休戦後の1955年には約105万人にふくれあがっている。多様な価値観を受け入れる気質、そして多様な人と文化を受け入れる柔軟性が育まれたのはそのせいかもしれない。

避難民の多くが釜山港で肉体労働をして稼ぎ、当時は安かったサバを焼いて食べていた
朝鮮半島北部からの避難民とともに釜山にもたらされたカジャミシッケ(カレイの塩辛)

 つまり、釜山は「よそ者」の街なのである。人と人とは違ってあたりまえ。顔つきや言葉が違う人がいてあたりまえ。釜山人にはそんなメンタリティが備わっているのだ。

「釜山はよそから来た人が住みやすい町だ」とよく言われる。大都市で仕事が見つかりやすいということもあるが、釜山人がもっている開放性と寛容性があるからではないだろうか。よそ者の代表である外国人旅行者にとって、こんなに居心地のよい街はない。

釜山には華僑も多く往来した。写真は釜山駅前のチャイナタウンの入口

 韓国映画では、チャン・ドンゴンが主演した『友へ チング』(2001年)、ソル・ギョング主演『TSUNAMI-ツナミ-』(2009年)、チェ・ミンシクハ・ジョンウが主演した『悪いやつら』、ユ・アインが主演した『カンチョリ オカンが暮れた明日』(2013年)、ソン・ガンホが主演した『弁護人』(2013年)、ファン・ジョンミンが主演した 『国際市場で逢いましょう』(2014年)などで、そんな釜山らしさを垣間見ることができる。次回はそのあたりをクローズアップしてみよう。

●釜山出身の有名人 ※()内は肩書

コン・ユ(俳優)、カン・ドンウォン(俳優)、イ・ジュンギ(俳優)、チョン・ユミ(俳優)、オ・ダルス(俳優)、リュ・スンス(男優)、キム・ヘスク(女優)、キム・ヘス(俳優)、ユ・ジェミョン(俳優)、カン・ハヌル(俳優)、ナム・ジュヒョク(俳優)、ジョン・ヨンファCNBLUE(歌手)、イム・シワン(俳優)、JIMINBTS(アーティスト)、JUNG KOOK/BTS(アーティスト、釜山)、クァク・キョンテク(映画監督)