韓国ドラマにおいて「時代劇」は人気ジャンルの王道。歴史好きな国民性にマッチした名作が数多く作られている。
韓国時代劇の主要な舞台となっているのが朝鮮王朝時代の王宮である。歴史を扱ったドラマの大半が朝鮮王朝時代を描いているので、それは必然的なことなのだ。
ソウル市内には正宮の景福宮(キョンボックン)をはじめ、離宮となっている昌徳宮(チャンドックン)、昌慶宮(チャンギョングン)、徳寿宮(トクスグン)などが現存している。こうした王宮はソウル観光の代表的な名所になっているが、歴史的に特に面白いのが、景福宮の正門をめぐる話だ。
1392年に朝鮮王朝を建国した初代王の太祖(テジョ)は、それ以前の首都だった開城(ケソン)から遷都して新しい王朝にふさわしい拠点を作ろうとした。
彼は風水思想の絶対的な信奉者。その風水で最高の吉とされる龍脈(強力な「気」が集中する場所)を探しまわった。絶対条件は「背山臨水」だ。峻険な山が背後にあって前方に大きな川が流れているところが適地だった。
そして、見つけた。漢陽(ハニャン)だ。現在のソウルである。
漢陽が象徴的な龍脈であることを悟った太祖は、龍脈のど真ん中にあたる「穴(けつ)」に王宮を建てることにした。こうして、朝鮮半島で最強の「気」を受けられる場所に景福宮が造られた。
しかし、問題になったのが正門の位置であった。太祖の側近同士の間で大論争が起こったのだ。特に、儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)と仏教僧侶の無学(ムハク)大師の対立が深刻だった。
鄭道伝は強調した。
「王朝を長く安定させるためには、国王が堂々と南側に向かって政務を続けることが肝要です」
無学大師は反論した。
「正門を南側に造ると、災いをもたらす山が前にあります。それを避けて東向きに正門を造ることが賢明です」
2人とも太祖が信頼する側近だ。それなのに意見が対立して太祖も大いに迷ったが、最後は決断した。彼は鄭道伝の持論を受け入れたのだ。こうして景福宮の正門となる光化門(クァンファムン)は南向きに造られたのである。
結果的に、朝鮮王朝は518年間も続く長寿王朝になった。光化門を南向きにして正解だったと言えるだろう。