テレビ東京の韓流プレミアで放送されてきた『赤い袖先』(日本編集版/全27話)。最終回がオンエアされて、非常に印象深い結末を迎えたが、これからこの珠玉の宮廷ロマンスを視聴する方も多いことだろう。

 改めて『赤い袖先』の終盤に関係する歴史的事実について取り上げてみよう。

■『赤い袖先』2PMジュノが演じたイ・サン宮女の愛の行方、実際はどうだったのか?

 イ・サンが宮女ソン・ドギムに承恩(国王が意中の女性と一夜を共にすること)を命じても、彼女は二度にわたって断っている。最初は世孫時代の1766年で、二回目が1780年のことだ。両方とも理由は「まだ子供がいない正室(孝懿〔ヒョウィ〕王后)に申し訳ない」であった。

 孝懿王后は人格が高潔な女性で、ドギムは同じ年齢の王妃を心から慕っていた。「尊敬する方に子供がいないのになぜ私ごときが……」という心情だったのであろう。ドギムのその気持ちはよくわかる。

 とはいえ、1776年に即位したイ・サンは1780年には28歳になっており、後継ぎとなる息子がいないことは王朝の大問題に発展していた。そんな状況があっただけに、さすがにイ・サンもドギムの拒否をそのまま受け取るわけにはいかなかった。彼は愛するドギムを処罰することはできなかったが、その代わりに、彼女の配下にいた身分の低いお付きの女性に罰を与えた。

 それは、思いやりが人一倍強かったドギムにとって耐えられないことだった。そこで、ドギムは二度目の承恩を断った後で、イ・サンの求愛を受けることになった。

 ほどなくドギムは妊娠したが流産となってしまった。同じことが繰り返されたあとで、ドギムはついに1782年9月7日に王子を産んだ。その功績によって彼女は1783年に品階が正一品となって宜嬪(ウィビン)ソン氏となった。側室を含めた女官の最高峰になったのである。

 以後の彼女の人生をどのように例えたらいいのだろうか。「幸せ」は一瞬であり、「哀しみ」だけが強く残った日々であったと形容しなければならないのかもしれない。