676年に新羅(シルラ)が朝鮮半島を統一すると、耽羅は新羅に服従の意を表している。耽羅なりに必死に生き残りに奔走したのである。

 その後、領土的野心が強かった高麗(コリョ)王朝は、強引に耽羅国を支配下に置いた。耽羅国は独立性を失い、「済州(チェジュ)」という地名に改められた。

 以後、朝鮮王朝時代にも済州は代表的な流刑地になっており、行政的には全羅道(チョルラド)に組み込まれていた。

 1946年8月、「済州」は全羅道から分離されて、独自に「道」に昇格して現在に至っている。

済州島のシンボルとなっているトルハルバン 写真提供/済州観光協会