韓国時代劇の人気作『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』で、主人公の哲仁(チョリン)王后(シン・ヘソン)は、奇想天外で型破りな行動を連発していた。それもそのはず。現代韓国の大統領官邸で腕をふるった男性シェフが朝鮮王朝にタイムスリップして、その魂が哲仁王后の心に入り込んでしまったからだ。そうしたコミカルな時代劇で描かれた哲仁王后は、果たして史実でどんな王妃だったのだろうか。
■『哲仁王后』主人公のモデル、実在の哲仁王后は非常に慎み深く、女官たちに対しても慈愛をもって接した
哲仁王后は1837年に生まれた。本名をキム・ソヨンと言う。もともと王朝中枢に陣取る高官の令嬢だった。
当時の朝鮮王朝は、特定の外戚一族が人事を独占していた。その中心に君臨していたのが純元(スヌォン)王后である。キム・ソヨンは彼女の一族の一員であり、強固な政治的コネが決定打となって、国王である哲宗(チョルチョン)の正室に選ばれた。正式に王妃となったのは1851年、わずか14歳のことであった。
巨大な権力者の後ろ盾を持ち、若くして至高の地位に就いたにもかかわらず、哲仁王后は決して驕慢な態度を見せなかった。それどころか、非常に慎み深く、身分の低い女官たちに対しても慈愛をもって接したと記録されている。
自己主張を控えて、常に温厚な振る舞いを貫いた哲仁王后。閉鎖的な宮廷社会において広く敬慕の念を集めた。朝鮮王朝の歴史には総勢42名の王妃が存在したが、その中でも彼女の人徳の高さは群を抜いていた。
しかし、その生涯は決して平坦なものではなかった。1858年、哲仁王后はついに第一子となる男児を出産した。次世代の君主候補の誕生に、哲仁王后自身はもちろんのこと、権力基盤の安定を狙う周囲も大いに沸き立った。
その喜びも束の間、希望の星と目された幼子はほどなくして夭折してしまう。愛する我が子を失った悲嘆はあまりにも大きかった。失意の底に沈む彼女に、さらなる過酷な運命が待ち受けていた。1863年、夫である哲宗が32歳という若さで崩御してしまったのだ。
子供と夫の両方を失った哲仁王后。その後、新たに玉座に就いた26代王・高宗(コジョン)の治世下において大妃の地位に就くこととなった。