●「もう浮気しないから許して!」妻・千代へ釈明の手紙?

 

 決定的なのが故郷に残した妻・千代への手紙の一節。

「相わかれ候よりハ一度も婦人くるひ等も不致全くくに之事のみしんはいいたし居申候」

(意訳/お別れしてからは一度も女遊びにハマったりしないで、100%国の事だけ考えています!)

 離れて暮らす妻にわざわざ「もう女遊びしてません! 真面目に暮らしてます」と宣言しなければならないくらい信用がなかったようだ。この他にも、筆まめだった渋沢は20通以上の手紙を千代に送っているのだが、その文面をよく見ると(以下、意訳)、

「来年こそ京都に呼び寄せるから(一緒に暮らそう)」

「手紙の返事来ないんだけど……」

「くれぐれも短気を起こさず、手計村の兄さん(=尾高惇忠)に相談を」

「武士の妻に愚痴と悋気(りんき/嫉妬心)は厳禁。いや、悋気を抱かれるようなことしてないけど……」

幼馴染で最初の妻・千代。賢婦人として知られるが手紙のやり取りを見る限り、けっこう怒っていたのでは……?

 などなど、千代を宥めすかしている様子が見て取れる。なかには「おひさ」「おやま」という女性に関して、妻・千代からの「浮気疑惑」を必死に解こうとしているらしい文面もあるのだ。

 まあ、幕府の追手から逃れて京都に向かってから約5年、実家と一人娘の面倒を任せっきりにしていたのだから、アタマが上がらないのも無理はないところ。

 

●芸者付き接待にブチ切れ!? 京都カタブツ生活

 では、家を離れていたこの5年間、手紙にあるとおり“婦人ぐるい”もせず、真面目に暮らしていたのか? 京都時代には一橋家の上役から「一人寝は寂しいだろう」と一夜のお相手を紹介されブチ切れて帰るとか、祇園で芸者を侍らせての接待にブンむくれるとか、カタブツぶりを発揮している。

 とはいえ一方で、新選組隊士と女の取り合いになり殺されかけたとか、欧州派遣の際、パリでとある貴婦人にラブレターを出してこっぴどくフラれたといった真偽不確かな噂もチラホラ。

 決してイケメンではないが、まめで愛嬌のある渋沢は男女を問わずモテたので、妻・千代に操を立てるのはひと苦労したことだろう。そもそも精力旺盛でもあるし……。