●本領発揮!? 昼も夜も精力全開で会社設立も愛人も続々と……
さて、その精力旺盛ぶりが遺憾なく(?)発揮されたのは、明治維新が成ってから。
第3回でも紹介したように謎のヘッドハンティングで新政府に出仕。4年弱で下野した後、第一国立銀行を皮切りに、製紙会社から海運、ガス会社などなど次々と会社を立ち上げ、「資本主義の父」への道をばく進した渋沢。
精力的に日本全国を駆け巡り、生涯で500以上の企業の設立に関わったとされるが、ちょうど30代から40代にかけてのこの時期は、私生活のほうもかなり精力的。こちらでも3ケタを超える”結果”を残したという噂がある。
●70代目前もバリバリ現役で「若気の至り」!?
なんと最初の妻・千代、後妻・兼子(旧姓・伊藤)との間に授かった子ども(嫡出子)に、公式に記録されている妾3人との間の子どもを含め、一説には100人以上の子をなしたというのだ。当然、公に記録されていない愛人は数えきれないほど。還暦目前で20代前半の妾を抱え、しかも、68歳の時に彼女との間に子どもまでもうけているのだ! もう精力フルスロットルというか”幕末維新の性豪”というべきか……。
さすがにこの時は、記者に直撃され、
「いや、お恥ずかしい。若気の至りでつい……」
と名言(迷言?)を漏らした渋沢。いやいや、68歳で”若気”レベルなら、働き盛りの30~40代はどれだけ大暴れしていたことやら……さすが自ら「婦人ぐるひ」というだけある絶倫ぶりだ。
ちなみに、当時の認識では「妾」は妻公認で衣食住の面倒を見ている女性のこと。それ以外に隠れてお付き合いしている人を「愛人」と見なしていたようだ。なお、渋沢はパリ帰りだけに愛人たちのことをフランス語の「アミ(友人と愛人の二つの意味)」と呼んでいたようだ。変なとこだけ洒落ているのはご愛敬。いずれにせよ”友人関係”には恵まれていたと言える。