■山だけでなく海岸には5000体を超える死者が埋まっている!?

 

鎌倉市街を南北に流れ、由比ヶ浜で海に注ぐ滑川の河口。この西側(写真右)に中世の合戦で討死した人々が埋葬されたという。

 しかも、往時の鎌倉は山だけでなく海岸線も死体が山積みになっていたようだ。その証拠に、鶴岡八幡宮から若宮大路を真っ直ぐ南に下った場所に広がる由比ヶ浜で大量の人骨が出土した遺跡が見つかっている。

 例えば、滑川河口に近い「由比ヶ浜中世集団墓地遺跡」では、刀傷や矢で射られた痕の残る人骨が、なんと5000体も出土しているのだ。これ以外にも数百体規模の人骨が出土した遺跡が稲村ケ崎から材木座にかけて海岸線に沿って出土。このほとんどが鎌倉時代から南北朝時代にかけての合戦の犠牲者だとされる。

 

■鎌倉の人気ビーチはもともと墓地?祭祀場?処刑場?

 まあここまでなら「鎌倉は古戦場でもあるし、仕方ないよね」で済むのだが、由比ヶ浜で見つかったもう一つの遺跡では、さらに不気味なものが見つかっている。上の中世集団墓地遺跡からやや江ノ電・和田塚駅寄りにある「由比ヶ浜南遺跡」では数百体の人骨に加え、整然と並べられた牛や馬、イルカの頭骨まで見つかっているのだ! また奈良時代以前から平安時代にかけての卜占に使用した骨や亀甲も発掘され、さらに西側の別の遺跡からは古墳時代の石棺や祭祀痕も見つかっているという。

地震や津波と数々の災害にも見舞われた鎌倉の海岸。その度に集団墓地がつくられたのだろう。

 コロナ前は毎年夏には若者たちが「ウェーイ!」と盛り上がっていた人気ビーチ・由比ヶ浜だが、専門家の分析によれば、古墳時代から中世にかけて「キェーイ!」と動物の首を刎ねる祭祀が行われ、無数の骸が折り重なって埋葬された場所だったのだ。

 くだらないダジャレはさておき、いま見てきたように古代から鎌倉の海岸は祭祀場で集団墓地で古戦場、さらに鎌倉幕府時代は処刑場(注3)としても使われた場所だ。

注3:現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、主要人物のあの人の子どもやあの人の一族なども、由比ヶ浜で命を落とすことになります(放送前なので一部自粛w)

 また、津波や海難事故の犠牲者が打ち上げられることも多かったと記録に残っている。いわば鎌倉は山も海も数々の遺体が埋葬された場所。当然、後の時代の人がちょっと掘り返せば、しゃれこうべがゴロゴロ出てきたのだろう。となれば、

「長老様、この辺って死体が出すぎじゃないすか? 変な牛のアタマも出るし」

「いやいや、村人Aよ、実はそれはだな。昔々……」

 と、「鎌倉=屍蔵(かばねくら)」というダジャレにしても縁起の悪い都市伝説が語られるようになってもおかしくはない。「迷信深い昔の人はこれだからなぁ」と笑うのは結構だが、「鎌倉+心霊スポット」で検索すると無数の記事がヒットする現代のわれわれも、新たな「鎌倉=屍蔵」伝説を生み出している点では、さほど変わりはないのではないだろうか?