■ハーリングはケルト以前から続いている球技
ケルトの文化は古代ローマ時代にユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が書いた『ガリア戦記』で“ローマに敵対する蛮族(ガリア人など)”として歴史に残っています。
イギリスの有名な古代の巨石遺跡『ストーンヘンジ』は、およそ紀元前8000年前くらいから建設が始まったとされ、ケルト人も深い関わりがありました。ケルト人と呼ばれる人々は他の地域からブリテン島に渡ってきたのですが、それ以前からストーンヘンジはありましたし、ハーリングもケルト以前から続いていた文化だということがわかっています。
■名称はイギリスのあちこちで違っていた
アイルランドで「ハーリング」と呼ばれていたこのスポーツは、イギリスだけでなく広い地域に広がっていたようです。スティックを使うところがアイスホッケーやフィールドホッケーによく似ています。遊ばれていた地域は、とても寒い北欧も含まれています。
たとえばアイルランド同様、ケルト文化の遺跡や伝承の残るウェールズでは『クナパン』と呼ばれていました。面白いのは、プレイ時に手も使うことができたのですが、ボールは油に漬けられ滑って持ちにくくなっていたようです。
クナパンの古いルールはサッカーとラグビーの中間のようなスポーツで、学校教育でプレーされるようになって以降、詳細なルールが整備されていきました。やがて、19世紀くらいにはアソシエーションフットボールとラグビーに分かれ、それぞれ独立したルールで遊ばれるようになっています。
スコットランドでは『シンティ』と呼ばれ、現在もプレーされています。氷上で行なわれるルールは『バンディ』と呼ばれていて、それはウェールズでは『バンドー』だったのですが、現在はアマチュアスポーツとして残っているくらいです。
スコットランドには町や村をフィールドとして遊ぶ、「Baゲーム」というモブサッカー、あるいはマスサッカーと呼ばれるお祭りに近いゲームも伝統的に行われていて、イタリアのサッカー「カルチョ」と関連があります。
アイルランドとの間にあるマン島では『カマグ』と呼ばれ、シンティやバンドーとの繋がりを示す歴史的な証拠も残されており、名称が違ってもほぼ共通したルールで地域を超えての試合も行なわれていたようです。
■イギリス以外の状況
フランスの北側、イギリスと関係の深いノルマンディーでは、『ラ・スール』と呼ばれていました。手も足もスティックも使え、スティックは使わない場合もあります。19世紀まで盛んに行われましたが、骨折やケガの記録も多く、暴力的な面が強かったようです。
同じくケルト伝承の残るアイスランドでは『クナトレイクル』と呼ばれ、ヴァイキングがプレーしたことが、アイスランドの歴史や神話をまとめた古文書『サガ』に記されています。地域的にやはり氷上で行なわれるゲームで、スティックでボールを打ちますが、手も使うことができ、初期のハーリングに近いルールでした。
■競技は戦争の実戦的な予行演習
これらハーリングと同系統と考えられる球技は、クー・フーリンがそうだったように子供が行なう戦争の予行演習、実戦的な訓練としてその歴史がスタートしています。チームワークは重要ですが、荒々しいプレースタイルが普通で、選手たちは実力を示し英雄となることを目指しました。
ハーリングからサッカーに至る変化について、定説があるわけではありませんが、古くは手足だけでなく疑似的な武器にもなるスティックを使用していたスポーツが、ウェールズの『クナパン』のように手で持ちにくくしたりしてルールや遊び方が規定されていく中で、手を使うルールがラグビーになったり、足だけを使う形がサッカーに発展していったのではないかと考えられます。
サッカーの起源説のひとつとしてよく挙げられる「敵の生首をボールにしていた」野蛮な風習は、実際の戦争の最中に行なわれたことだったのでしょう。ケルト人はローマから見れば蛮族でしたし、北欧のバイキングは広い地域に侵略戦争を行なっていました。生首を戦利品・トロフィーと考えいたのも事実だったことは、遺跡の発掘現場からも確認されています。
スポーツの国際試合に代理戦争としての役割があるのは今も同じですが、応援合戦が激化し暴力沙汰にも発展やすいサッカーのルーツとしては、蹴鞠以上にこちらのほうがふさわしいようにも思えます。