■中二のスキー合宿での成功体験と挫折の夏

子どもたちに怪談を語り聞かせた経験は一つの原点と語る青柳氏

─実際に怪談を聞き集めたり、人前で披露したりというのはいつ頃からされていたんですか? 今回の『怪談青柳屋敷』では学生時代に聞いた話がけっこう収録されていますが。

 

青柳:今みたいに積極的に怪談を蒐集して記録する、というのはしてなかったんですが、たとえば今回の本の「耳なし芳一」の話でも出てきた、中学、高校の頃から参加していたNPOで、子どもたちを連れていく夏のキャンプとか、塾の講師をしていた時に生徒たちにとか、よく怖い話を聞かせたりしてましたね。

 

吉田:それ、けっこうウケ良かったですか?

 

青柳:ええ、子どもだからやっぱり怖がりますよね。

 

吉田:その経験が、怪談やりたいなって下地になったんじゃないですか?

 

青柳:あ~、確かにそうですね。だから、飲み会とかあった時は率先して怪談話をしましたね。僕は稲川淳二さんの「長い遺体」(注5)が好きなんですが、あれ長いんで掻い摘んで話したりとか。そういえば、当時からよく仲間内で怪談話はしてましたね。たとえばスキー合宿の夜に、暇つぶしで急に怪談話が始まったりとか。

 

吉田:原体験ってことでは私も中学校のスキー合宿でした。私が「てけてけ」の話をしたら女の子たちがうわ~って泣き出しちゃって。当時、全然モテなかったし、クラスの女子から見たら全然下の立場だったのに、急に逆転したというか、一矢報いたというか……よしっ!って感じです(笑) まあ先生にはメチャクチャ怒られましたけど。

 

青柳:アハハハ。吉田さんの怪談語りの最初の成功体験がそこにあったんですね。

 

吉田:逆に23、24歳の頃かな、大失敗をね。OBとして大学の映画サークルの神津島合宿に参加して、行きのフェリーの中で知り合った看護学校の女性3人と私たち男3人で飲んでいる時に、稲川淳二さんの怪談をやったんですよ

 

青柳:へえ~、それ何の話をしたんですか?

 

吉田:そのちょっと前にテレビで見たんだと思うんですけど、「207号室の患者」(注5)を。ただ、ノープランで始めちゃったんで、途中でオチを忘れちゃったんですよ。

 

青柳:あ~、はいはい(苦笑)

 

吉田:そしたら彼女たち3人同時に「どーん、どーん、どんびきー!」って指さして笑われてしまって。こっちはもう「笑ゥせぇるすまん」みたいに「うわぁぁぁ」ってショックをうけて……(苦笑)。それがすごいトラウマというか、「俺はもっと怪談ができるはずだ」と……悔しくてですね。

 

青柳:じゃあ、そのトラウマもありつつその後、稲川淳二さんのライブに行って「怪談をやろう」と、とうもろこしの会(注7)を立ち上げるわけですね?

 

吉田:そう。あまり詳しく話しても長くなるんですが、いろいろ段階があったんです。

 

注5/稲川怪談の代表作の一つ。僧侶でサーファーという体験者が語る、友人3人とサーフィンに出かけた先で起きた怪異を巡るやや長編の怪談。

注6/ある深夜の病院を舞台にした稲川淳二の傑作怪談の一つ。一人で夜勤をしていた看護師をたびたびナースコールで呼び出す207号室の女性患者。彼女が訴える不可解な現象とラストに明かされる衝撃の事実とは……。

注7/2005年に立ち上がった吉田氏が会長を務める怪談サークル。伝説的なオカルトスポット探訪マガジン『怪処』の発行や怪談イベントの主催など活発に活動。

 

■二人の意外な共通点が次々と発覚

──先ほど大学の映画サークルの話が出ましたが、お二人実は、同じ時期に同じ早稲田大学に在籍されていたそうですね。お二人の学生時代はどんな感じだったんですか?

 

青柳:あの頃って大学に禁止されて学祭がなかったんですが、2年生の時にクイズ研究会だけが独自にイベントをやっていて、それで感動して入会してずーっとやってたんです。吉田さんが学生時代に熱を注いだものってなんですか?

 

吉田:大学では映画の勉強もしていたし、さっき話したように映画サークルに入っていたのでドキュメンタリー映画を作ったり、学内での映画祭の手伝いもちょこちょこやってたんですが、当時は怪談はぜんぜん興味なかったですね。

 

青柳:あ、そうなんですか。そのあと、就職活動があまりうまくいかなかったって……。

 

吉田:ええ(苦笑)、舐めてたわけじゃないし、むしろ人生でいちばん努力した2年間だったんですけどね。これはヤバいなってことになり、なんか、怪談を始めたってわけで……。

 

青柳:実は僕も同じようなもんで(苦笑)。吉田さんは就職活動失敗したってよく書いてますけど、僕は何もやりたいことがなくて、そもそも就職活動しなかったんです。で、フラフラしていて、いったん大学院も入ったけど、面白くなくて辞めて、塾講師を始めて……。で、その頃にさっき話した吉田さんの「くるりんぱ」に出会ったということなんですよ。

 

■怪談業界はいまが“青春期”で昔の小説業界?

誰もが参加できるのが怪談業界の魅力と語る吉田氏

──いまや怪談業界のオーソリティーともいえる吉田さんが「なんとなく怪談を始めた」というのも意外ですね。

 

吉田:いまはどうかわからないですけど、ほかに何もできない人間の吹き溜まりが怪談だと思ってるし、むしろ、そうあるべきだと思っているんです。ほかに何かできる人はほかの業界にいったほうがいいんです。

 

青柳:え~、そうですか!? でも、誰にでもできるものではないじゃないですか、怪談って。

 

吉田:誰にでもできるもんですよ(笑)。いまいちばん誰にでもできるもの。だからいま人気なんじゃないですか。もちろん、その中で実力の差はありますけど。怪談自体は、出来のレベルは別として、好きだったら明日からでもできる。これが音楽だったら少なくとも何カ月か練習しないと無理。なんなら私みたいに好きじゃなくてもできる(笑)。

 

青柳:確かに、僕もあんまり考えずに本出しちゃったしなぁ(苦笑)。

 

吉田:それが怪談業界のいいところだと思うんですよ。昔は小説だってそういうものだったはずですよね。田山花袋の『蒲団』とか読めばわかりますけど、あんな風に自意識過剰な若者がこぞって手を出すものだったはずですし。でも、そういう時がいちばんジャンルが活気があるというか、青春期のジャンルというか……まぁ、怪談の世界はまだ青春すら至ってないような気もしますが(苦笑)。ただ、結局そういうものがいちばん面白いし、やりがいもあるんですよね。

 

怪談取材のコツから「怪談とは何ぞや」などさらに深い話は〈第2回/6月6日公開〉に続く。

青柳碧人(あおやぎ・あいと)
1980年千葉県生まれ。早稲田大学卒業。2009年『浜村渚の計算ノート』で第3回「講談社Birth」小説部門を受賞してデビュー。19年刊行の『むかしむかしあるところに、死体がありました。』は多くの年間ミステリーランキングに入り、本屋大賞にノミネート。『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』は23年9月にNETFLIXで映画公開が決定している。「猫河原家の人びと」シリーズをはじめ多数のシリーズ作品のほか、『名探偵の生まれる夜 大正謎百景』、『クワトロ・フォルマッジ』など著書多数。

 

吉田悠軌(よしだ・ゆうき)
1980年東京都生まれ。怪談作家、怪談研究家。早稲田大学卒業後、ライター・編集活動を開始。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、怪談の蒐集と語り、さらにはオカルト全般の研究をライフワークとしている。伝説的なオカルトスポット探訪マガジン『怪処』の刊行や、「クレイジージャーニー」(TBS)では日本の禁足地を案内するほか、月刊ムーでの連載やYouTubeなど各メディアで活動中。著作に『中央線怪談』、『現代怪談考』、『一生忘れない怖い話の語り方』、『禁足地巡礼』、『一行怪談』、『煙鳥怪奇録』(共著)など多数。