もし宮女が妊娠した場合は、出産して3カ月後に処刑される。この「3カ月」というのは、乳児に乳をあげる期間を猶予されたものだ。しかし、国王に対して不貞を働いた罪は変わらず、命を差し出して国王に詫びなければならない。そして、生まれた子供は奴婢(ぬひ)にされてしまう。

 こうした事件が後を絶たなかったとはいえ、宮女の最大の野望は「承恩」を受けることだ。これは、国王に指名されて一夜を共にする、ことを意味している。

 実際、宮女が美貌を買われて承恩を受け、その後に側室になった例はいくらでもある。そうした前例にあやかりたいために、宮女は俸禄の大半を費やして化粧品を買い求めた。

 そこまでして、宮女たちはどんな思いで国王の歓心を呼び込もうとしたのか。

 けれど、願いが叶わないまま年老いていった宮女には厳しい現実が待っている。病気になると、結局は王宮を出されてしまう。長い王宮生活ですでに市中に親戚がいない場合も多い。さぞかし、王宮を出た後に生活が困窮した人が多かったことだろう。

『赤い袖先』を見ていると、当時の宮女の総数は約700人だった。これほど多くの女性が人生の最後で寂しい晩年を過ごさなければならないという事実を知ると、かつての宮女たちの儚(はかな)さが一層、身にしみてくる。