韓国のドラマや映画が国際的に脚光を浴びるようになって20年になる。ドラマ『冬のソナタ』や『宮廷女官 チャングムの誓い』以降、あるいはもっと最近になって韓国文化に興味をもった人にはピンとこないかもしれないが、韓国の映画やドラマには長い冬の時代があった。とくに映画は外国どころか我が国の人々に見向きもされない時期が長かった。今のように国際的に注目されるまでには長い年月を要し、そこには演者や制作者たちの苦労があったのだ。
ここでは、時代ごとに輝きを放った韓国の名優たちの活躍を振り返っていきたい。今回は1980年代から1990年代のスターを取り上げる。
■1980年代の顔、国民俳優アン・ソンギ
1988年のソウルオリンピックを控えた80年代後半、日本のテレビで韓国映画がたびたび放送された。そのため、私(1967年生まれ)と近い世代の日本人は当時のトップ俳優アン・ソンギ(1952年生まれ)を通して韓国を知った人が多い。
アン・ソンギは1980年代のトップスターで、当時も今も映画にしか出ない俳優として知られている。彼が活躍した1980年代は軍事独裁政権を相手に国民が抗い続けた時代だ。日本にもファンの多い映画『鯨とり』(1984年)で小心な大学生(キム・スチョル)と失語症の娘(イ・ミスク)とともに旅する破天荒な物乞い役は、軍事独裁政権に息苦しさを感じていた人々に大きなカタルシスを与えた。とくに旅の途中で食いつめて開き直り、田舎道で乞食節を歌い踊ってメシにありつくシーンは見ものだ。我が国の民主化が成ったとされる年の3年前の作品である。
他にも、韓国に残してきた身重の妻のために米国でなりふりかまわず金を稼ごうとする不法滞在者を演じた『ディープ・ブルー・ナイト』(1984年)。父親が民主化運動に関わっていたため連座制で自己実現が果たせない看板描きに扮した『チルスとマンス』(1987年)。少年時代に脳性麻痺を発症したため行けなかった慶州への修学旅行を実現しようとする青年を演じた『神様こんにちは』。ベトナム戦争の後遺症にさいなまれる作家を演じた『ホワイトバッジ』(1992年)。バブル景気に湧くソウルでワイロ集めに血道をあげる刑事を演じた『トゥ・カップス』、光州民主化運動を指揮する民間人を演じた『光州5.18』(2007年)など、時代の空気を伝える数多くの作品に出演している。
2020年頃までコンスタントに映画に出演していたが、2022年、「血液のがんで闘病中」という発表が所属事務所からあり、多くの映画ファンが衝撃を受けた。
■『風の丘を越えて 西便制』で脚光を浴びたキム・ミョンゴン
演劇出身の俳優で、80年代から映画にも出演している。日本でキム・ミョンゴン(1952年生まれ)の存在が知られたのは、NHKアジア映画劇場で放送された『旅人は休まない』(1987年)だろう。南北分断の悲しみをかかえ旅する男と女(キム・ミョンゴンとイ・ボヒ)に憧れ、冬の江原道を旅した人は少なくない。
映画『風の丘を越えて 西便制』(1993年)では、パンソリ一家の父親を演じ、自慢のノドを披露した。本作はソウルだけで100万人を動員。日本でも韓国映画としては初めて興行的に成功し、その後の海外での韓国映画躍進のきっかけとなった。
最近では、チョン・ウソン主演の『鋼鉄の雨』(2017年)とその続編の『スティール・レイン』(2020年)で老練な要人を演じ、存在感を示している。