テレビ東京の韓流プレミアで9月1日から始まった『赤い袖先』。9月8日には第6話がオンエアされてスリリングだった序盤が終わった。
このドラマはイ・セヨンが演じる宮女ソン・ドギムの視点で、ジュノ(2PM)が扮するイ・サンとの情愛や宮女たちの生活ぶりが抒情的に描かれている。同時に、歴史的な出来事も重厚に扱っていて本当に見応えがある。
そこで、『赤い袖先』に登場する人物について史実に基づいて解説していこう。(本記事はTV放送の日本編集版全27話をもとに紹介。※以下、一部ネタバレあり)
■『赤い袖先』イ・サンの周囲の人々、史実ではどんな人物だったのか?
第1話では、1764年に亡くなった映嬪(ヨンビン)イ氏の葬儀のことが取り上げられていた。この映嬪イ氏は英祖(ヨンジョ)の側室であり、思悼世子(サドセジャ)を1735年に産んでいる。
しかし、朝鮮王朝の正史となる『朝鮮王朝実録』には、映嬪イ氏が英祖に対して思悼世子のことを「世子にふさわしくない」と泣きながら訴えた、という記述がある。なぜ彼女がそんなことを言ったのか。その真意はわからないのだが、彼女の言葉が英祖の心にかなりの波風を立てたことは間違いない。
そういう逸話を持つ映嬪イ氏が亡くなった場面から『赤い袖先』が始まるというのは、宮廷物語としての『赤い袖先』の象徴的なところだった。
なお、1764年というと、イ・サンは12歳でソン・ドギムは1つ下の11歳であった。
第2話では、イ・サンが中国の歴史書『史記』を持っていたことが騒動を起こす。なぜなら『史記』には母親の身分が低いことを強調する文章が掲載されていて、英祖がひどく嫌って禁書にしていたからだ。
英祖の母親は、粛宗(スクチョン)の側室だった淑嬪(スクピン)チェ氏。人気時代劇の『トンイ』でハン・ヒョジュが演じたヒロインのモデルになっていた女性だ。
この淑嬪チェ氏の出自には諸説があるが、王宮で水汲みをするムスリ(下働きをする人)という説が有力だ。英祖は母親の身分が低かったことを恥じていた、と言われており、『史記』を禁書にしたエピソードも彼の劣等感を表わす話であった。ドラマでは、ソン・ドギムの巧みな機転によって、禁書を持っていたイ・サンが窮地を脱することができた、という展開になっていた。