朝鮮王朝時代でもっとも波乱の人生を歩んだといわれる名君イ・サン(正祖)。ロマンス史劇『赤い袖先』は、その稀代の名君が生涯唯一愛したとされる宮女(のちの側室・宜嬪ソン氏)とのロマンスを、胸キュンと切なさの絶妙なバランスで描いた傑作だ。
主人公イ・サンを演じたジュノ(2PM)の魅力が炸裂した本作は、日本でもテレビ東京で地上波初放送されるや反響を呼び、U-NEXTでも再生ランキング上位をキープ。BSや各地方局でも放送が始まり、その盛り上がりは当面さめそうにない。
多くの視聴者を夢中にした、王イ・サンと、彼に愛された宮女ソン・ドギム。気になる2人のロマンスを、各話ごとに解説する。(本記事はオリジナル版全17話をもとに紹介。TV地上波放送は日本編集版の全27話。※以下、一部ネタバレあり)
■『赤い袖先』最終話(第17話)「瞬間は永遠」
●あらすじ
ソン・ドギムは王イ・サンの息子・文孝(ムニョ)世子を産み、宜嬪(ウィビン)の名を与えられるが、その幼い命は流行り病、麻疹(はしか)によって奪われてしまう。麻疹にかかっておらず懐妊中でもあるドギムは、伝染してはならないと止められ、我が子の最期を看取ることができなかった。
嘆き悲しむドギムにサンは、王族として毅然とした態度で悲しみを乗り越えろと励ます。折しもドギムは、友人の宮女ソン・ヨンヒが密かに子を身ごもり流産し、密通の罪で獄中にいることを知る。
ヨンヒがこの世を去り、二重の悲しみを味わうドギムだったが、我が子の死をサンも悲しんでいることに気づき、互いの心の傷を慰め合うのだった。夫婦として絆を深める2人だったが、やがてドギムが病に伏し……。
●見どころ
号泣の最終話。幼い我が子を流行り病で亡くしたときも、「亡くなったのは我が子だけではない」と諭し、王族として毅然と振る舞うようドギム(宜嬪)に話すサンは、あまりにも「王」だった。子を亡くした悲しみを人前で見せることさえできないのだ。
ドラマの原作小説では、幼い世子と親子3人で川の字になって眠る話や、息子に甘すぎるというドギムに「そなたにも甘いのに、そなたが生んだ息子にはどうしようもないだろう」と照れて笑うサンの描写など、“家族”となった彼らの幸せなエピソードが多々描かれており、世子が亡くなる場面は、より深い悲しみに包まれる。
本作でメガホンを握ったチョン・ジイン監督は、サンが王になって以降は、その重圧と孤独、寂しさを表すために彼の「背中」を多く映し出したという。
やがて病に伏せったドギムはサンに、来世では通り過ぎてくれと乞う。
実は、原作では、彼女がまだ元気だった頃に、「襟が触れるほどの出会いは前世からの縁」という言葉について、2人が交わしたやり取りがある。
幼い頃はこの言葉を、通りすがりに袖を触れ合うことを言っていると思っていた、しかし大人になってから、それが袖ではなく襟だと知り、襟をかすめるには抱きしめられなくてはならないことに気づいたと、ドギムがサンに語るのだ。
そのうえで、「王様は生まれ変わっても私と襟をかすめますか?」と、サンに問う。