僕にとって、仁川韓国のなかでもいちばん好き……というか興味をそそる街である。ここには韓国の近代の歴史がいっぱい詰まっているからだ。

 ソウルと仁川の関係は、東京と横浜の関係にたとえられる。首都とその港という位置づけだ。しかし横浜に比べれば、仁川はより海外の国々が入り込んだ街である。仁川には日本や中国、イギリス、アメリカ、ロシアといった国々の租界ができた時期もあった。

 租界といえば中国の上海が有名だが、そこに似た構造が仁川にもできあがっていた。租界というのは、その国に主権はあるが、行政権がないエリアのことをいう。つまり治外法権。仁川のなかに、次々にそんな一角が誕生していった。

 そして太平洋戦争の後の朝鮮戦争の時代には仁川上陸作戦が展開された。アメリカ軍を主体にする連合軍は仁川から上陸し、ソウルの奪還へと兵を進める。仁川はそんな世界の動きに晒された街である。

■仁川の街歩き、清の租界跡の中華街

 さて、仁川の街歩き……。それは紹介した租界歩きでもある。

 仁川にはじめて租界をつくったのは日本だった。1875年の日朝修好条規がきっかけだった。しかし中国、当時の清も黙っていなかった。清はもともと、韓国を属国だと認識していた。そこに日本が入り込んできたわけだ。

 1884年、清は仁川に租界をつくる。その頃には、仁川に次々に世界の国が入り込み、共同租界もできていく。イギリス、フランス、アメリカ、ロシアなどが拠点をつくっていく。その区分けが、仁川の街にはくっきりと残っている。上海の租界もエリアでわかれているが、上海のそれは仁川に比べればはるかに広く、そのエリアだけで街歩きができてしまう。

 その点、仁川は小ぶりで、ゆっくり歩いていくと、清の租界跡から日本の租界跡へと風景が変わっていく。租界跡にはその国風の建物が残っているからだ。そこが仁川歩きの魅力でもある。

 まず清の租界跡から歩きはじめる。中華街である。仁川駅に降りると、すぐ目の前に中国風の門が見える。横浜の中華街の門に似ている。そこをくぐると、中国エリアになる。赤を基調にした柱が並び、中国料理店や土産物店が軒を連ねる。韓国ちゃんぽんやチャジャンミョンを食べるならこのエリア。