最近、中華街の店先で目立つのがタンフル。イチゴやブドウなどを串に刺し、その周りを砂糖でコーティングした中国生まれの激甘スイーツだ。「ガツーンとくる甘さの中毒になっている」という若者も少なくないとか。砂糖の過剰摂取が問題と政治家が口にすると、「好きなものぐらい勝手に食べさせろ」と若者が反発したとういわくつきのスイーツ。

 ソウル市内では、食べ終わったべとべとの串が捨てられ、店によっては、「タンフル持ち込み禁止」という貼り紙を出したところもある。そんなごたごたに嫌中派は顔をしかめる。

 しかしここは中華街。堂々と売ることができるということだろうか。

中華街で売られていたタンフル。新大久保でも売られている

 この中華街は急な坂道が多い。ひと通りまわり、坂道を一気に降りていくと、やけに人が多い石段にでる。よく見ると、左と右で灯ろうのデザインが違う。石段の下から見あげると左側が中国風、右側が日本風。

 つまりこの左側が清の租界、右側が日本の租界。ガイドによっては、清日租界境界石段とも書かれている。こんなくっきりとした境界は上海にはない。格好のインスタスポットになっている。

 そこをすぎると日本租界に入り込んでいく。1910年のデータでは、仁川の人口は約3万1000人ほど。そのうち日本人は1万2000人以上も暮らしていたとか。中国人は1200人ほどだったようだ。日本人密度はかなり濃かったことになる。そのエリアに足を踏み込んでいる。

 日本租界跡散歩は次回に。

清租界と日本租界の境界。記念撮影スポットで観光客が集まる。撮影のため、誰もいなくなる瞬間まで1時間近く待った