旧広津家の周辺には洋館づくりの家や、日本家屋の壁を煉瓦で補強した家もあった。日本人資産家たちの家々だったことは容易に想像がつく。

 群山には彼らの資産を保管した蔵もあった。ある資料に島谷金庫という蔵が出てきた。群山にある蔵だったが、場所を特定できなかった。ひょっとしたら……とタクシー運転手に頼ってみた。初老の運転手は島谷金庫の存在は知らなかったが、勘を働かせてくれた。最後は道を歩いていた老人が案内してくれた。

 訪ねたのは寒い時期だった。雪に埋まった水田を横切り、雑木林を抜けたところに島谷金庫は残っていた。扉は鉄製でコンクリート製の蔵だった。島谷家も群山で米を扱い、その財で集めた高価な品や金を、群山郊外に建てた蔵で保管していたのだろう。

 引き揚げるとき、蔵にあった金品を持ち出すことはできなかったようだ。

 蔵の前にあったパネルには、「ここまで攻め込んできた北朝鮮軍によって、すべての金品や文書は持ち去られた」と記されていた。

 群山は静かな街だった。しかしそのなかで日本を探していくと、半島に渡った日本人商人たちの財力の跡が、少しグロテスクな顔で浮かんでくるのだった。

島谷金庫跡。学校の脇にひっそりと残っていた。内部に入ることはできなかった 写真/中田浩資