麺はすぐに茹であがり、それを器によって啜る。スープにつぶ貝の風味が移り、つい笑顔になってしまう麺だった。
韓国の鍋を食べて思うのは、〆の料理まで計算されているということだ。日本の鍋も最後におじやにしたり麺を入れたりするが、どこかそこにはオプションという雰囲気がある。しかしソウルのそれは、麺まで食べて鍋料理という流れが確立している。それに合わせた量にもなっているのだ。
周囲のグループ客は、コルベンイムッチムも食べていた。これはつぶ貝とスケトウタラなどの和え物にそうめんを加える料理だった。これを食べた後で鍋に移る。大人数なら適量だが、ふたりならつぶ貝鍋+麺というパターンが量的にぴったりという意味が、麺を啜ってわかった。
そこにあるのは〆の料理へのこだわりだろうか。麺を啜っていると、この絶妙なスープをつくるために、鍋のなかにつぶ貝を入れたような気にもなってくる。
つぶ貝の鍋は、働くサラリーマン向けの庶民鍋だが、そこには計算された韓国の鍋の世界があった。

