韓国時代劇の傑作『赤い袖先』で2PMジュノが演じたイ・サンの母、恵慶宮(ヘギョングン)に扮したのは、演技派のカン・マルグムだった。彼女は堅実な表現力で重要なキャラを真摯に演じた。
史実を見ると、恵慶宮は1735年に生まれた。9歳だった1744年に世子の思悼世子(サドセジャ)と結婚。夫は頭脳明晰だったが、後には酒癖が悪くなってしまい、家臣にも暴力を振るっていた。それでも、恵慶宮は夫のために精一杯に尽くしていった。
■『赤い袖先』物語の背景、最愛の息子イ・サンが堂々たる国王の座に就き、恵慶宮は至上の喜びに包まれた
時は1750年、王宮はかつてないほど沸き立った。恵慶宮が第一子となる男児を産んだのである。懿昭(ウィソ)と名付けられ、次代の王統を担う正当な後継者として認められた。
しかし、わずか2年後の1752年、幼き世継ぎはこの世を去ってしまった。我が子を突如として失った母親の絶望は計り知れず、宮中全体が深い悲嘆に覆われた。
だが、天は絶望の淵に沈む恵慶宮を見放しはしなかった。同年、暗雲が立ち込めていた王室の空気を一変させる吉報が届いた。第二子となる力強い男児が産声を上げたのである。彼こそが、のちの名君イ・サン(正祖)に他ならない。
恵慶宮は1754年に長女である清衍(チョンヨン)を、続く1756年には次女の清璿(チョンソン)を出産し、母としての満ち足りた平穏な日々を謳歌していた。その頃の恵慶宮はまさに順風満帆そのものであり、いずれは至高の国母として天下に君臨する、輝かしい未来が確実に約束されているかに思われた。
ところが、1762年に漆黒の奈落へと突き落とされた。思悼世子が、宮廷内で強大な権力を掌握していた老論派の狡猾な権謀術数にはめられて、実父の英祖(ヨンジョ)から徹底的に嫌われてしまった。
事態は最悪の結末を迎える。激怒した王の厳命により、思悼世子は米びつの中に閉じ込められて、無惨にも餓死を余儀なくされた。
この悲劇により、恵慶宮の立場は一瞬にして罪人の未亡人という屈辱的で惨めな境遇へと落ちてしまった。
唯一の希望は、残された息子の存在であった。聡明なる我が子は、王の公式な後継ぎである世孫(セソン)として正式に指名され、恵慶宮は心の底から安堵した。