朝鮮王朝の21代王・英祖(ヨンジョ)といえば、22代王・正祖(チョンジョ/イ・サン)の祖父であり、韓国時代劇では『イ・サン』でイ・スンジェ、『赤い袖先』でイ・ドクファが重厚に演じていた。また、『ヘチ 王座への道』で、チョン・イルが若き日の英祖を精悍に演じた。

■老論派の策略によって英祖は我が子を非情にも突き放してしまった

『ヘチ 王座への道』の中で延礽君(ヨニングン/のちの英祖)は、出自の低い母親から生まれた王族として不遇の日々を過ごす。だが、強い精神力で乗り越えて、立派な国王に成長していった。そのプロセスをチョン・イルが繊細かつ理知的に見せてくれた。

 このように、英祖は印象的な出番が多い国王なのだが、歴史的に言うと、息子の思悼世子(サドセジャ)を餓死させた、という凄惨な事件を引き起こしている。

 彼はなぜ、我が子を死の淵へと突き落とさねばならなかったのだろうか。

 英祖は、幼い頃の思悼世子に大いに期待して、徹底的な英才教育を施した。それに応えて、頭脳明晰な思悼世子は政治的な才能をどんどん伸ばしていった。

 10歳のときには、大人顔負けの論陣を披露するほどになった。しかし、才能が勝りすぎた思悼世子は、老論(ノロン)派を批判してしまった。これによって、老論派は極度に思悼世子を警戒するようになった。こうして、老論派と思悼世子の間で緊張感が高まっていった。

 これは思悼世子にとって大変な不利であった。なんといっても、老論派は英祖を支える最大派閥であり、敵に回しては絶対にいけなかったのだ。しかし、自尊心が強かった思悼世子は恐いもの知らずで果敢に突き進んでいった。

 老論派は、思悼世子が大人になるにつれ、自分たちの描く政治の理想図と彼の思いが乖離していくことを痛感した。

「もし思悼世子が次の王になれば、自分たちの居場所がなくなってしまう」

 焦燥に駆られた老論派の重臣たちは、思悼世子から後継者の座を剥奪する罠を密かに張り巡らせるようになった。

 成長した思悼世子は酒癖が悪く、家臣に暴力をふるっていた。そこに目を付けた老論派は思悼世子の悪評を意図的に英祖の耳に入れた。そのやり方があまりに巧妙で、しだいに英祖は我が子に強い不信感を持つようになった。

 しかし、英祖には「思悼世子を信じたい」という気持ちがまだ残っていた。それゆえ、英祖は息子を処罰したいという気持ちを必死に抑えていた。しかし、老論派は1762年に「思悼世子が謀反をたくらんでいる」という工作を開始して、英祖の激怒を引き出した。