韓国時代劇の傑作『赤い袖先』では、2PMジュノが繊細かつ抒情的に、イ・サンこと、朝鮮王朝22代王・正祖(チョンジョ)を演じて大評判になった。その正祖にはどんな事件が起こっていたのか。

 Netflix人気ファンタジー時代劇『暴君のシェフ』でイ・チェミンが扮した国王のモデル、 10代王・燕山君(ヨンサングン)は、なぜ「暴君」とよばれたのか。

 実際、朝鮮王朝には時代を震撼させた10大事件があった。朝鮮王朝宮廷ミステリーとして注目される10大事件を振り返ってみよう。

■韓国時代劇の背景になっている「朝鮮王朝10大事件」とは?

 朝鮮王朝時代、王位継承問題を皮切りに権力を独占しようとする強欲者が、何度も事件を起こしている。独自の切り口で史実を痛快に解説した歴史エンタメ読本『謎解き!朝鮮王朝 宮廷ミステリー 韓国時代劇の「なぜ?」を解明する』では、実際の史実をもとに、そうした事件を取り上げている。ここでは、その中から多くの時代劇の背景にもなっている「10大事件」を紹介しよう。

●第一事件/首陽大君が端宗から王位を奪い取った

 首陽(スヤン)大君が1453年にクーデターを起こした。甥の6代王・端宗(タンジョン)に代わって政治の実権を掌握し、首陽大君は自ら7代王・世祖(セジョ)として1455年に即位した。端宗は流罪にされて、最終的にわずか16歳で死罪となった。世祖は身内を殺して王位を奪った非道な男として後世で非難された。

●第二事件/世祖暗殺に失敗した「死六臣」は「忠義の象徴」になった

 1456年、成三問(ソン・サムムン)らの忠臣が端宗の復位と世祖暗殺を計画した。明の使節を招いた宴席で世祖を殺そうとしたが、直前になって決行が延期された。結局、計画は露見し、首謀者の6人(死六臣)は苛酷な拷問を受けた。それでも世祖を王と認めず無惨に処刑された。彼らは忠臣として後に大きな尊敬を集めた。

●第三事件/仁粋大妃と廃妃・尹氏の確執はどんな結末になったのか

 9代王・成宗(ソンジョン)の母・仁粋(インス)大妃と、成宗の二番目の正室・尹氏(ユンシ)の間で厳しい対立が起きた。尹氏は側室を呪詛したり成宗の顔を引っ掻いた事件を起こしたりして、廃妃となって王宮を追放された。さらに、仁粋大妃の陰謀によって尹氏は死罪となった。

●第四事件/かくして燕山君のような「暴君」が生まれた

 10代王・燕山君は、生母である尹氏の死の真相を知ると復讐心を燃やし、母の死に関わった者たちを虐殺した。さらに、酒池肉林の宴を繰り返して浪費し、重税で民衆を苦しめた。最終的に1506年のクーデターによって王位を追われ、江華島へ流罪となって命を落とした。異常な復讐劇と暴政は王朝の根幹を揺るがせた。

●第五事件/光海君は名君なのか、それとも非道な悪魔なのか

 15代王・光海君(クァンヘグン)は1608年に即位すると、実兄と異母弟を殺害し、継母の仁穆(インモク)王后を幽閉した。恨みを買い、1623年のクーデターによって廃位にされた。それによって、かつては暴君と見なされたが、近年は評価が変わってきた。在位中は減税にも熱心だったし、明と後金(後の清)の間で巧みな中立外交を行って王朝を救った。そうした実績が評価されるようになったのだ。