●第六事件/仁祖と昭顕世子の不可解な親子関係

 清の侵攻によって1637年に屈辱的な降伏をした16代王・仁祖(インジョ)。長男の昭顕世子(ソヒョンセジャ)は清に連行されたが、進んだ文明に触れて強い影響を受けた。しかし、清に強い復讐心を持った仁祖は8年ぶりに帰国した昭顕世子を冷遇した。わずか2ヶ月後に急死した昭顕世子は、仁祖によって毒殺された疑いが濃い。本当に仁祖は我が子を殺したのか。もしも昭顕世子が即位していれば、朝鮮王朝はもっと発展したかもしれない。

●第七事件/張禧嬪と淑嬪・崔氏はどちらが悪女だったのか

 19代王・粛宗(スクチョン)の統治時代、側室同士の張禧嬪(チャン・ヒビン)と淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は厳しいライバル関係だった。1701年に仁顕(イニョン)王后が亡くなったときに、淑嬪・崔氏の告発によって張禧嬪が王妃を呪詛したことが露見した。張禧嬪は死罪となったが、ここで疑問が残っている。淑嬪・崔氏の告発には確かな証拠があったのか。もしも、告発が嘘だったら……。真相は闇に隠れてしまった。

●第八事件/英祖は果たして景宗を毒殺したのか

 20代王・景宗(キョンジョン/張禧嬪の息子)と、異母弟の延礽君(ヨニングン/淑嬪・崔氏の息子で後の21代王・英祖〔ヨンジョ〕)の間で激しい後継者争いがあった。背後には少論派(景宗を支持)と老論派(延礽君を支持)の熾烈な党争があった。1724年、病弱だった景宗は在位4年で急死したが、延礽君による毒殺疑惑も起こっていた。しかし、延礽君が英祖として即位して、疑惑はもみ消されてしまった。

●第九事件/餓死した思悼世子は党争の犠牲者だった

 英祖の息子だった思悼世子(サドセジャ)は宮中で奇行に走ることが多かった。思悼世子を嫌っていた老論派は英祖に意図的に誤った情報を伝え、激怒した英祖は1762年、思悼世子を米びつに閉じ込めた。思悼世子がいくら謝罪しても許されず、結局は餓死した。後に即位した息子の22代王・正祖(=イ・サン)は父の名誉回復に心から尽力した。

●第十事件/正祖は果たして貞純王后によって毒殺されたのか

 正祖は英祖の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王后と対立していた。彼女は老論派の急先鋒。思悼世子の餓死事件にも関与していた。1800年、政治改革を進めていた正祖が突如として崩御した。貞純王后が毒殺したのではないかと疑われている。実際、正祖の死後に実権を握った貞純王后は正祖が進めていた改革をすべて潰した。それによって、近代化が大きく遅れてしまった。

●作品情報

『赤い袖先』

[2021年/全17話]演出:チョン・ジイン、ソン・ヨナ 脚本:チョン・ヘリ

出演:ジュノ(2PM)、イ・セヨン、カン・フン、イ・ドクファ、チャン・ヘジン

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