韓国歴代興行収入1位を記録した映画『王と生きる男』(2027年1月8日、日本公開)。映画では、パク・ジフン(Wanna One)が演じる朝鮮王朝第6代王・イ・ホンウィ(端宗/タンジョン)が、流刑地の村長オム・フンド(ユ・ヘジン)と様々に交流する様子が感動的に描かれている。
パク・ジフンの哀愁を帯びた表情がとても印象に残る本作。さらに物語で気になるのは、若き王がなぜ流罪になったのかということ。史実を振り返ってみよう。
■大ヒット映画『王と生きる男』の歴史背景、端宗が王位を奪われた政変「癸酉靖難(ケユジョンナン)」とは?
ハングルを創製した名君の4代王・世宗(セジョン)。彼の孫だった端宗が、1452年に11歳で玉座に就いた。まだ幼い彼に代わり国政を掌握したのは、重臣の金宗瑞(キム・ジョンソ)であった。
そんな状況下で強烈な存在感を放っていたのが世宗の息子たちだ。1人は次男の首陽(スヤン)大君、もう1人は三男の安平(アンピョン)大君である。彼らは父の健在な頃から国政に関与し、決して無視できない強大な発言力を維持していた。
金宗瑞は野心家の首陽大君に露骨に警戒の目を向ける一方、安平大君に対しては全面的に協力していた。それによって、安平大君は政治的基盤を徐々に拡大させていった。
弟の躍進に首陽大君は焦った。そこへ現れたのが知略を秘めた韓明澮(ハン・ミョンフェ)である。彼は武力による事態打開を進言した。助言を受けた首陽大君は弓術を競う名目で武芸者を集め、武官たちとの結束も固めていった。
野望を胸に秘めた首陽大君は、1453年10月10日、自邸に腹心の部下たちを密かに集結させ、ついに武装蜂起を決断した。彼は一握りの精鋭部隊を引き連れ、標的である金宗瑞の邸宅へ乗り込み、致命的な一撃を浴びせた。かつて「虎」と称された勇猛な男も、闇夜の奇襲の前では為す術がなかった。
最大の政敵を倒した首陽大君は、すぐさま宮廷へと乗り込んだ。勇ましい武官たちを従えた叔父の威容に、端宗は恐怖のあまり凍りついた。
優位に立った首陽大君は、王の命令をとりつけて朝廷の要人たちを招集し、金宗瑞派の官僚たちをこぞって撲殺した。
こうして一夜にして、首陽大君は国家の全権を掌握した。ライバルだった安平大君も粛清の嵐から身をかわせなかった。すべての栄誉を奪われて流罪となり、最後は死罪になってしまった。
この政変は、後世において「癸酉靖難(ケユジョンナン)」と呼ばれている。

