私の事務所代表(韓国ロス3年の日本人男性)のソウル・釜山・大阪10日間の旅。
シリーズ連載7回目は、1989年、彼が初めてソウルに来たときに泊ったマンモスホテルの跡地、清凉里(チョン二ャンニ)駅前から。
■1989年秋、清凉里駅前の思い出。今、ディープな街の面影は?
鍾路3街、乙支路3街、乙支路4街を歩いて、韓国に来れなかった3年2カ月の喪失感を埋めると、少々センチメンタルになったのか、初めてソウルの街に降り立った1989年のことを思い出した。
1989年といえば韓国では、旅行バラエティ『花よりお姉さん』のイ・ミヨン主演映画『幸福は成績順じゃない』(百想芸術大賞映画部門女性新人賞)や、2022年に亡くなったカン・スヨン主演映画『ハラギャティ(波羅羯諦)』が公開された年だ。コーリャンエロスと呼ばれた官能映画が量産され、日本のレンタルビデオ店にも並んでいた時代である。
ちなみに、1989年に生まれた韓流スターには、俳優のキム・ウビンやイ・ジョンソク、CNBLUEのジョン・ヨンファ、2PMのウヨンなどがいる。
その頃、すでに社員旅行などでグアム・サイパン、バリ島くらいは行っていたが、香港、ソウル、台北は未踏だった。
香港は買い物好きな女子が行くところ。そんな印象があり、ソウルか台北の二択だったが、怪著『ディープ・コリア』や『宝島スーパーガイドアジア 韓国』に出ていた韓国人のエピソードがおもしろかったので、ソウルに決める。
abroadという旅行雑誌の巻末にズラッと並んでいた帯状のツアー広告で、ソウルの格安ツアーを選ぶ。3泊4日で5万くらいしたと記憶している。当時はまだ韓国=男性天国のイメージが強く、広告には「韓国式宴会付き」と書かれているものも少なくなかった。あとで知ったが、それはキーセンツアーのことだったのだ。
ノースウエスト航空で夜8時頃、金浦空港に着く。韓国映画『情事 an affair』で若いイ・ジョンジェを迎えたのは美しいイ・ミスクだったが、到着ロビーで私を待っていたのは四角い顔の同世代の男性ガイドだった。ツアーと言ってもその日の客は私一人だったので、二人でタクシーで市内に向かう。金浦空港は郊外にあるので今も周囲は賑やかとはいえないが、当時は辺りがあまりに真っ暗で驚いた。
漢江を渡りソウル中心部に入ると、タクシーが高架道路の下を走ったことをなんとなく覚えている。まだ暗渠(あんきょ)だった清渓川の上を東に向かって走っていたのだ。
1989年といえばソウル五輪の翌年だ。キム・テリが出演した映画『1987、ある闘いの真実』にも描かれていたように、1987年に民主化が実現し、“軍事独裁政権” の長いトンネルを抜け出たところだったが、街はまだ薄暗かった。
宿はソウル北東部の清凉里駅前にあったマンモスホテル。当時は忠武路エリアのプンジョンホテル(現・ホテルPJ)とともに格安ツアー御用達だった。