次の日の朝は昨夜の薄暗さが嘘のような、イチョウと青空のコントラストがみごとな秋晴れだった。初心者らしく、南大門市場明洞梨泰院仁寺洞などを歩く。

 夕方、ホテルに戻ろうと清凉里駅前を歩いていると、若い女性3人組に腕をつかまれ、韓国語でなにごとかまくしたてられた。「588」と呼ばれる紅燈街の女性である。私の服装から外国人だと判断したらしい。女子とはいえ3人に引っ張られてはたまらない。シャツのボタンが飛ぶ。情けないが「help!」と叫ぶ。通りがかった若い男性が3人を睨みつけると、彼女たちはあっさり退散した。

「588」と呼ばれた紅燈街は一掃され、今ではタワーマンションが林立する清凉里駅前
清凉里駅の西側には、かつての雰囲気を伝えるモクチャコルモク(飲食店街)が残っていた

  当時のソウルは紛れもなくアジアだった。駅前通りの近くの青果市場は路上に敷いたゴザの上に品物を並べている店がほとんどで、その迫力に圧倒された。今でこそ、韓国に西洋的な洗練を求めて旅する人は珍しくないが、33年前はまったく別の国だった。 

昼どき、路地裏の出前専門食堂では配達の自転車が忙しそうだった
清凉里の名もない食堂に入ってマッコリを頼む。3年のあいだにボトルが緑から透明に変わっていた
1980年代、1900年代を彩った銀幕のスターたち。鍾路3街の映画館「CGVピカデリー1958」のロビーで

(つづく)