韓国の仁川はしばしば訪ねている。ここでいう仁川は仁川国際空港とは違う。仁川港がある街のことだ。仁川国際空港は、仁川の沖にある永宗島(ヨンジョンド)にある。

 仁川とソウルは横浜と東京の関係に似ている。仁川は港を中心に栄えてきた街だ。ソウルから電車に乗れば1時間ほどで着く。

 仁川の港からフェリーに乗って中国に向かったことが何回かある。遼寧省の丹東、山東省の煙台などに向かってフェリーが就航している。中国の文化や物資は仁川の港から韓国に入ってきたものが多い。

 仁川に行った目的も、このフェリーに乗るためということが多かった。しっかりと仁川の街を歩いたのは、2010年頃のことだった。その時期、僕は本を書くためにアジアの日本人町を訪ね歩いていた。

 19世紀の半ば、朝鮮半島は清の強い影響を受けていた。しかしその後、日本が存在感を増していく。その象徴が仁川でもあった。1876年、仁川に日本の租界がつくられる。隣接して清の租界があるという状態だった。その境界の石段はいまも残っている。下から見あげると、石段の左側に中国、右側に日本式の石灯籠が並んでいる。

仁川港と中国の丹東を結ぶフェリー。丹東は鴨緑江に沿って広がる街。対岸は北朝鮮

■仁川で食べた料理のチャンポン、そのルーツは?

 この仁川の街でチャンポンという麺料理を食べた。

「ほーッ、これが韓国のチャンポンか……」

 辛みの効いたスープに腰のある麺。具は海鮮である。日本のチャンポンより僕好みだった。

 実はその前、九州の佐賀県を訪ね、そこで日本のチャンポンを食べていた。日本のチャンポンは、長崎県の名物である。1899年、長崎の中国料理店の店主が中国人留学生に提供していた肉や野菜がたっぷり入った賄い料理風の麺がルーツという話が定説になっている。味は福建風だという。

 佐賀県は長崎に近い。チャンポンを出す店も多かった。その店で、こんな話を聞いた。

「佐賀のチャンポンは、長崎とは少し違うんですよ。こちらは炭坑で働く人に出す麺っていう要素があったんです。だから長崎よりスープが濃厚。ボリュームもあるんです。そう、この前、博多に行ったら、韓国チャンポンっていうメニューがあってね。食べて見たんですよ。海鮮が具で、かなり辛い。話では日本のチャンポンが韓国に渡って、韓国風にアレンジされて、日本に逆上陸したっていうんです。なかなかの味でね。うちも研究して出してみようかと思ってるんです」

 韓国のチャンポンが逆上陸……。面白い話だと思った。