テレビ東京の韓流プレミアで放送中の韓国時代劇『赤い袖先』が話題を集めている。
2PMジュノとイ・セヨンが演じる宮廷ロマンスは、時代を超えて輝く「ときめき」に満ちていて、色彩と陰陽が際立った描写は究極的な愛を抒情的に映し出している。
しかも、史実をベースにしたストーリーは重厚で説得力がある。間違いなく、韓国時代劇の歴史に残る傑作だと言えるだろう。
ドラマの内容をより正確に把握するために、ジュノが演じる主人公イ・サンの年表を記しておこう。(本記事ではイ・サンの誕生から即位するまでの年表を掲載。即位以後の年表は後日掲載予定)
■『赤い袖先』で2PMジュノが演じるイ・サンは、実際にどんな生涯を送ったのか?
●イ・サンの生涯(即位までの歩み)
〔1735年〕英祖(ヨンジョ)の二男としてイ・サンの父である思悼世子(サドセジャ)が誕生。思悼世子の母は英祖の側室だった映嬪(ヨンビン)イ氏である。
〔1735年〕イ・サンの母である恵嬪(ヘビン)ホン氏が生まれる。恵嬪ホン氏の父親は後に領議政(ヨンイジョン/総理大臣に該当)を務めた洪鳳漢(ホン・ボンハン)である。
〔1744年〕思悼世子と恵嬪ホン氏が結婚した。
〔1750年〕思悼世子と恵嬪ホン氏の長男である懿昭(ウィソ)が誕生した。
〔1752年〕懿昭が早世したが、9月にイ・サンが生まれた。大いに喜んだ英祖は生まれたばかりのイ・サンを見て「見た目が凡俗を超えている」と絶賛した。
〔1753年〕ソン・ドギム(成徳任)が生まれた。後の宜嬪(ウィビン)ソン氏である。彼女の父親は洪鳳漢の屋敷で働く使用人であった。
〔1754年〕イ・サンの妹である清衍(チョンヨン)が誕生した。
〔1756年〕イ・サンの2人目の妹として清璿(チョンソン)が生まれた。
〔1756年〕神童と称されたイ・サンがわずか4歳にして中国の重要な古典の『孝経』を学び始める。
〔1757年〕英祖の妻であった貞聖(チョンソン)王后が亡くなった。
〔1759年〕英祖は二番目の妻として51歳下の貞純(チョンスン)王后を迎える。
〔1759年〕イ・サンが世孫(セソン/国王の正式な後継者となる孫)に冊封された。