『赤い袖先』はジュノ(2PM)とイ・セヨンの息の合った演技によって、王族と宮女の究極的な愛を描く抒情的な宮廷ロマンスになった。
ストーリーの展開を見れば、わかりやすい二部構成になっている。ジュノが演じるイ・サンの世孫(セソン)時代が前半であり、彼が即位した以降の活躍が後半になっている。世孫と国王という立場の違いが『赤い袖先』の展開を大きく左右していたのだ。
今回は、ドラマ前半のハイライトとなった世孫の代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)について『朝鮮王朝実録』の記述に基づいて解説していこう。
■イ・サンの代理聴政が決定した背景、史実ではどうなっているのか
英祖(ヨンジョ)が重臣たちを集めて重大な発表をしたのは1775年11月20日であった。その発表の前に彼は弱気なことを言っている。
「気力が衰えてきて一つの政務をやりとげることも難しくなってきた。こんな状態で最後までやり抜けるだろうか。国を治めることを考え始めたら、夜もまったく眠れないほどなのだ」
この発言は重要である。時の国王が正直に、年齢による衰えを告白しているからだ。英祖は81歳だった。歴代王の中で最高齢に達した英祖は、心身ともに疲れ切っていたに違いない。
『赤い袖先』でもイ・ドクファが演じる英祖の認知症を思わせる描写が多いが、それは『朝鮮王朝実録』に載った当時の発言が根拠になっていると思われる。
弱音を吐いた英祖は重臣たちに対してこう呼びかけた。
「まだ若すぎる世孫であるが、老論について知っているだろうか。少論について知っているだろうか。国の政治というものを知っているだろうか。兵曹判書(ピョンジョパンソ/軍事を担う役所のトップ)や吏曹判書(イジョパンソ/役人を統括する役所のトップ)を誰にまかせればいいかを知っているだろうか。余は若すぎる世孫にもそれらをわからせてあげたいのだ」
このように語ったあとで、英祖は世孫に代理聴政をさせたいという気持ちを明らかにした。
すぐに左議政(チャイジョン/副総理に該当する)の洪麟漢(ホン・イナン)が反対した。その言葉も『朝鮮王朝実録』に載っている。
「東宮(トングン/王の後継者)は老論や少論のことを知る必要がありません。兵曹判書と吏曹判書についても知らなくていいです。さらには朝廷のことも知る必要がありません」
この言葉は『赤い袖先』の中でも登場する。