ジュノ2PM)とイ・セヨンが主演した『赤い袖先』は、史実に基づいて「国王と宮女の究極的な愛」を感性豊かに描いたドラマで、本当に余韻が残る傑作であった。

 同時に、イ・サンという国王の即位後の名君ぶりもドキュメンタリータッチで緊迫感を持って扱っていて、ジュノがシリアスに演じていた場面もいくつかあった。

 実際、イ・サンの人物像と業績に関心を持った視聴者が多かったようで、改めてイ・サンという名君の生き方が注目を集めるようになった。

 そこで、今回は王に即位してからのイ・サンの生涯を年表で記していこう。

※イ・サン誕生から即位までの年表はこちら→【サランヘジョ韓ドラ〈52〉】

●イ・サンの生涯(即位以後の歩み)

〔1776年〕3月5日に英祖が亡くなった。3月10日にイ・サンが朝鮮王朝22代王として即位した。

〔1778年〕洪国栄(ホン・グギョン※『赤い袖先』ではカン・フンが演じたホン・ドンノ)の妹がイ・サンの側室になり、元嬪(ウォンビン)ホン氏として正一品になる。

〔1779年〕元嬪ホン氏が急死する。まだ満13歳になっていなかった。妹の死に疑問を持った洪国栄は正室の孝懿(ヒョウィ)王后の関与を疑い、こともあろうに王妃の食事に毒を盛ろうとした。発覚して洪国栄は窮地に陥る。

〔1780年〕洪国栄が地方追放処分となる。本来なら死罪が免れないところだが、イ・サンが温情で命までは奪わなかった。

〔1780年〕イ・サンは二度目となる承恩をソン・ドギムに命じたが、今度も彼女が拒んだ。まだ子供がいない孝懿王后への配慮であった。イ・サンはソン・ドギムを処罰しなかったが、その代わりに彼女の使用人を罰している。その事実を重く受け止め、ソン・ドギムがイ・サンの愛を受け入れる。

〔1781年〕洪国栄が世を去る。

〔1782年〕二度の流産を経て、9月7日にソン・ドギムが王子を出産した。

〔1783年〕ソン・ドギムが宜嬪(ウィビン)ソン氏という正一品となった。