ソウルの東大門にあるウズベキスタン料理店。店に入ると、コロナ禍前と少し様子が違っていた。
客に中央アジアの人たちがいない。テーブルを埋めているのは韓国人だけだった。そしてメニューからアルコール類が消えていた。
■ソウル東大門近くのウズベキスタン料理店、韓国と中央アジアの関係は?
店には、以前はウズベキスタンのビールが何種類も用意されていた。中央アジアのビールは種類が多い。アルコール度数もさまざまで、15度などというワインや日本酒並みに強いビールがあった。
店の人に訊くと、困ったような顔でこういった。
「コロナ禍の間にハラル認証をとったら、アルコール類を置けなくなってしまって……。でもお客さんが飲むのは大丈夫。すぐ近くにコンビニがありますから」
僕は歩いて30秒ほどの店でビールを買い、それを手に店に戻りながら、彼らの困惑につい失笑してしまった。
僕は知っていた。ウズベキスタンの人々の大多数はイスラム教徒だが、こちらが舌を巻くほど酒を飲む。昼間からウオッカを飲んだりする。多くの人がラマダンもしない。ラマダンというのはイスラム教徒に課せられた断食。1年のうちで決められた30日、日の出から日没までの間、食べ物だけでなく水を飲むこともできない。
しかしウズベキスタンの人は、ラマダンの間でも食事をとるし、酒を飲む。ロシアの影響だという。
しかしイスラム教徒だからハラル認証は必要なのだろう。どういう経緯でアルコール類を出せなくなったのかはわからないが、東大門のウズベキスタン料理店は、この規制に戸惑ったはずである。
しかしテーブルは韓国人でほぼ埋まっていた。皆、ビールも飲んでいなかった。そういう韓国人が集まる世界になったのだろうか。アルコール類がないから、中央アジアの客がいないのだろうか。
視線を気にしながらビールを飲み、羊肉のケバブにかじりつく。塩加減が絶妙である。ニンジンのサラダもいい味だ。コロナ禍前と同じ味だった。
なぜ韓国とウズベキスタンなどの中央アジアの国は親密なのだろうか。そこには朝鮮族が背負った歴史が横たわっている。
南北にわかれる前の朝鮮は帝政ロシアと国境を接していた。かなりの数の朝鮮族がロシア領内に暮らしていた。1910年に日本の植民地になると、それを嫌った人々が移り住み、その数はさらに増えたという。
しかし彼らはその後、戦争の圧力に晒される。旧ソ連は日本を警戒し、国境地帯をロシア人で守る政策をとり、1937年、彼らは国境から遠く離れた中央アジアに移住させられてしまうのだ。