以前、ロシアからタシケントに向かう列車のなかで、ひとりの朝鮮系ウズベキスタン人の女性と会った。彼女の両親は旧ソ連が崩壊したときにウズベキスタンに移ったという。
「旧ソ連時代、両親はノヴォシビルスクで暮らしていました。あの頃の生活は厳しかったといいます。その旧ソ連が崩壊。両親はウズベキスタンに将来の希望を抱いて移ったんです。いま? 韓国から車を輸入する会社を経営しています」
強制移住ではなく、自主的に中央アジアをめざした朝鮮族もいたようだ。
彼らが中央アジアと韓国を結びつけていった。中央アジアの都市部には韓国料理店がかなりある。そしてバザールをのぞくと、キムチが当たり前のように売られている。中央アジアの人々は、サラダ感覚でキムチを食べるようになっていた。そして街を走る車は韓国の車が圧倒的に多かった。
そのなかで中央アジアの人々も韓国にやってくるようになる。衣料品の小商いもあれば、車や通信機器など、韓国の経済成長がもたらした製品の貿易にかかわる人々もいた。
そこに東大門のウズベキスタン料理店がかかわってくるわけだ。
日本から中央アジアに向かう飛行機も、ソウル経由が便利だった。ソウルと中央アジアの結びつきが支える路線だった。
僕もこのルートでしばしばタシケントやアルマトイに向かった。
ソウルにいると無性に食べたくなる中央アジア料理。その味の隠し味は朝鮮族の歴史なのでは……と考えるときもある。