Netflixシリーズ『おつかれさま』は済州島(チェジュド)が舞台であり、ヒロインのオ・エスン(IU/クムミョンと一人二役)の母グァンネ(ヨム・ヘラン)は海女をしていた。ドラマでは、グァンネの仕事が過酷すぎて若くして亡くなってしまうという設定だった。果たして、実際に済州島の海女はどんなふうに働いていたのだろうか。
■Netflix話題作『おつかれさま』の舞台、済州島の海女は実際どのように暮らしていたのか
私は済州島の海女には特別な感慨を持っている。それは、母が10代のときに済州島で海女をしていたからだ。実際に母から当時の思い出を聞いたことがある。その話を基に、1人の海女の体験談をここで再現してみたい。
母は1918年に済州島の西帰浦(ソギポ)で生まれた。この西帰浦では、海女になる女性は少なかったという。肌が黒くなるからと嫌う人ばかりだったそうだ。
「私の友達で海女になった人は誰もいなかった。別に生活に困っていたわけではなかったけれど、私だけが海女になったの。子供の頃から浅瀬で遊んでいたら、サザエやウニがよく採れた。みんなから上手だと褒められて、それで海に潜るのが好きになったのだろうね」
母が10代の頃には親が日本に渡っていて、高齢者の世話をすべて引き受けなければならなかった。それがとても大変で、海に潜っているときだけは何もかも忘れて得意なことに没頭できた。そこに充実感があって、母は近所では珍しく海女になったそうだ。
母が潜ったのは、今や済州島でも有数の観光名所になっている正房(チョンバン)瀑布のすぐ前の海だった。実家が正房瀑布のすぐ近くだったからだ。
「海に出るときは、かんぴょうの中をくり抜いて作った浮輪を使っていた。潜っている間に浮輪が漂ってしまうけど、水から上がると浮輪をたぐり寄せ、それにつかまってしばらく休む。海に浮かんでいるときは気分がよかったよ。波がおだやかなときは、ずっと浮かんでいたかった」
しかし、休んでばかりはいられない。呼吸を整えてから、何度も海に潜った。体力が限界を迎えると、海辺に上がり、焚き火に当たってからだを乾かす。落ちついたら、また海に入っていく。
「これを何回か繰り返すけど、潮が完全に満ちてきたらすべて終わり。その日に採ったサザエやアワビを近くの加工工場に売りにいくのね。重さをはかってもらうと、その場で現金をくれる。これがうれしかった」

