カンジャンケジャン──。ワタリガニの醤油漬けである。韓国語で「ケジャン」がワタリガニ、「カンジャン」が醤油味。唐辛子の味付けの場合はヤンニョムケジャンという。

 はじめて食べたのは40年ほど前だ。東京の大久保にある、それほど大きくない韓国料理屋だった。なんでもカンジャンケジャンが有名な店という触れ込みだった。値段はかなり高い店だった。当時、僕は新聞社に勤めていて、先輩記者に連れていってもらった。先輩記者は、その頃、大久保に増えつつあった韓国料理店を、街という切り口で書く連載をもっていた。その取材に同行させてもらったわけだ。

■物価高が進むソウルで、カンジャンケジャンが安く食べられる店を探す

 はじめて食べたカンジャンケジャンには戸惑った。とろとろとした生のカニ肉を食べたとき、なんという食べ物かと思った。日本の寿司屋で出されるマグロのトロとは別世界の味だった。僕のなかでは生の海鮮は刺身だったから、カンジャンケジャンも刺身の一種と考えていたが、なにか発想が違う気がした。

 店では、甲羅のなかにご飯を入れ、少したれをかけて、カニ肉と混ぜて食べるようにすすめられた。韓国では「ご飯泥棒」と呼ばれている……と店主の韓国人女性は日本語で教えてくれた。

「カニ肉だけで十分なのに、ご飯を入れるってなんてもったいない」

 カンジャンケジャンを前に、そう思ったことを覚えている。

 新聞社を辞めてフリーランスになった。旅の原稿を書くことが多く、ソウルはよく訪ねたが、カンジャンケジャンを食べた記憶はない。一般の店にはなく、専門店だったせいかもしれない。カンジャンケジャンは高級料理という意識があって二の足を踏んでいた。

 韓国ドラマ無人島のディーバ』にもカンジャンケジャンは登場していた。15年間無人島に暮らした主人公が歌手をめざすストーリーで、パク・ウンビンキム・ヒョジンチェ・ジョンヒョプらが出演していた。カンジャンケジャンが登場したのは海沿いの食堂で、この料理を食べるのは、海に近い街や島……というイメージもあった。

 物価高が進むソウルで、安い店を探していたとき、「カンジャンケジャンが食べ放題で3万9000ウォン~」という店をみつけた。日本円で約4100円。ほかのカンジャンケジャンの店を観てみると、5万ウォンを超える店が珍しくない。

「ここは安いかも」

 なんといってもカンジャンケジャンである。 僕のなかでは高級韓国料理だ。それが食べ放題……。行ってみることにした。

 場所は地下鉄の東大門歴史文化公園駅から徒歩圏内。現代アウトレットに近い。この一帯に泊る日本人は多い。東横インの存在が大きいと思うが、リーズナブルな値段のゲストハウス系の宿も増えている。ソウルの外国人は明洞から江南に移りつつあるが、買い物の便利さを考えると東大門は人気のエリアでもあった。

 2階にある店だったが、派手な看板が1階に出ていた。そこには日本語も躍っている。日本人のなかにはカンジャンケジャン好きが多い。それが食べ放題なのだから、日本人客が多い店かもしれなかった。

 夜の6時台に入ったが、すでにテーブルの2割ほどは埋まっていた。空いたテーブルを案内されたが、隣にいたのは中年日本人の3人連れだった。