以前、刺身丼(フェトッパ)を食べたときを思い出していた。その店では、キャベツなどの野菜の上にマグロの刺身、海苔などが載った丼とご飯が入った器が別々に出てきた。そのときも韓国人の知人と一緒だった。知人は刺身の上に酢が入ったコチュジャンとごま油をかけ、がしがしと混ぜはじめた。僕はその動作を呆然と眺めていた。これではマグロの刺身の味がわからなくなってしまうのではないか。

 しかし事態はさらに進んでいく。知人はそこにご飯を投入してしまったのだ。そして再び、がしがしと混ぜはじめた。僕はその光景にかたまってしまった。

 日本と韓国は距離的に近いこともあり、共通した食材をよく目にする。そして食文化も重なる部分が多い。しかしそれを食べようとしたとき、突然、大きな岐路に出合ってしまう。韓国の人たちは混ぜるのだ。しかし日本人は混ぜない。それぞれの食材を別々に食べようとする。

 この違いにときに足許を掬われる。

 日本人と韓国人の間にある大きな溝に出合ってしまうのだ。カンジャンケジャンを前に同じ悩みに出合ってしまった。僕はどうしても、カニのなかにご飯を投入することができなかった。別々に食べたいという思いが勝ってしまうのだ。

 口に含んだカンジャンケジャンはとろとろだった。混ぜていないから、卵は啜るように食べた。深い味わいだ。これが韓国人をしてコクというのだろうか。

 知人はご飯を入れ、よく混ぜ、満足そうに口に運んでいる。そのとき、ふと思った。韓国人はカンジャンケジャンを刺身とはとらえていないのではないか。しかし僕は刺身と考えてしまう。

「ご飯どろぼう」という言葉も、混ぜて食べるから生まれたはずで、日本人はカンジャンケジャンそのものを評価するから、ご飯とかかわった言葉は生まれない。

 刺身と考えれば、日本人はこの店で、オスのカンジャンケジャンで満足できる気がした。卵はご飯と混ぜるから、メスのほうがいい味を出す。しかしご飯と混ぜないのなら……。

 目の前の韓国人は、ご飯を混ぜたカンジャンケジャンを満足そうに口に運ぶ。僕はカンジャンケジャンだけの味をかみしめる。

 思わぬところで、日本人と韓国人の間に横たわる舌の溝に出合ってしまった。