『王の顔』『華政〔ファジョン〕』など、数多くの韓国時代劇に登場する朝鮮王朝15代王の光海君(クァンヘグン)。特に、『王の顔』ではソ・イングクが繊細に光海君を演じて評価が高かった。
その光海君は長らく「暴君」と見なされてきた。実兄の臨海海(イメグン)と異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺し、継母の仁穆(インモク)王后を幽閉……。こうした暴挙はあまりに非道だった。
結果として光海君はクーデターによって廃位となり、流刑地で寂しく生涯を終えている。果たして、この国王の実像は?
■光海君の実像とは?国を救ったのに廃位となったプロセスそのものが「不可解なミステリー」
『王になった男』『ノクドゥ伝~花に降る月明り~』『ポッサム~愛と運命を盗んだ男~』など、最近の韓国時代劇では、光海君の立ち位置が様変わりを見せている。残虐非道な暴君という固定観念が薄れ、国家の命運を一身に背負った「孤高の名君」というイメージが付加されてきた。
なぜこれほどまでに評価が変化してきたのか。その謎を解く鍵は、彼が立たされた過酷な時代背景が関係している。
そもそも、光海君が世子(セジャ/王朝の正式な後継者)に選ばれたのは、豊臣軍の攻撃を受けた「文禄・慶長の役(壬辰倭乱)」の真っ只中だった。あろうことか、父の14代王・宣祖(ソンジョ)は都の漢陽(ハニャン)を放り出して一目散に北に向かって逃げ出してしまっていた。
一方の光海君は修羅場と化した戦線に残り、義兵を募るという殊勲をあげた。けれど、こうした働きが皮肉にも宣祖からの強烈な妬みを招く結果をもたらした。宣祖は老齢に達してから生まれた正室の子・永昌大君を次期王位に就けようと画策し始めた。
側室の子であった光海君は「いつ後継ぎの座から引きずり下ろされるか」という恐怖におびえ、精神的に追い詰められた。それが大きなトラウマになっていた。
1608年、宣祖が突然崩御し、現状追認という形で光海君が即位した。彼が血を分けた兄弟たちを粛清した裏には、前述したトラウマが影響していた。いわば過剰反応とも言えた。
その半面、君主として光海君が発揮した外交手腕は歴史学者たちの間でも高く評価されている。