昨年12月以来、何回かソウルを訪ねている。ソウル駅周辺、梨泰院江南などは見ていたが、明洞に足を向けることはなかった。避けているわけではなかったが、梨泰院でこんな話も聞いていた。

「梨泰院は雑踏事故が起きて壊滅状態ですけど、明洞もよくないみたい。もともと外国人観光客が多い街でしょ。コロナ禍前は、中国一色。ここは中国かって思うぐらい、街には中国の普通話が溢れていた。その中国人がこれないから……」

 新型コロナウイルスの感染が広がっていた時期、何回か明洞の動画を観た。廃業したコスメ店や土産物店が並んでいた。その状態からまだ脱却できていないようだった。

 新型コロナウイルスの感染も収まりはじめ、多くの国が入国規制の緩和に動きだしていた。韓国も同じだった。しかし日本人の動きは緩慢だった。なかなか海外が旅先にあがってこない。要因は円安だった。そこに現地の物価高が拍車をかけた。明洞もその流れのなかにいると思っていた。

「久しぶりに明洞を歩いてみませんか。日本人観光客が少し戻ってきたっていう話です」

 3月にソウルを訪ねたとき、知人から連絡がはいった。ソウル在住の日本人だ。

■3年ぶりのソウル・明洞、観光客は戻ってきていたが……

 3年ぶりの明洞だった。

 地下鉄4号線の明洞駅。地上出口で知人と待ち合わせた。目の前にかつてユニクロがあったビルがあった。コロナ禍と韓国に吹き荒れた日本製品不買運動のなかでユニクロは閉店に追い込まれてしまった。ビルは改装中のようだった。その前で知人を待つ。

「ん?」

 次々に日本語が聞こえてきた。路上を見ると、ふたり連れやグループの日本人が歩いている。会話を交わしながら明洞の中心街に吸い込まれていく。

「戻ってきた」

 実感だった。その場所で知人を待っていたのは、10分ほどだったが、目の間を歩く人々の3~4割は日本人だった。コロナ禍が明けても日本人の腰は重いという話とはかなり違う。いや、ようやく日本人観光客が戻りはじめたということだろうか。

 コロナ禍のような世界レベルの移動制限は僕にとってははじめてだった。その時期がすぎ、少しずつ海外に出る人が増えていく……とすれば、まず韓国なのかもしれなかった。日本からいちばん近い海外である。そして韓国といえば、ソウルの明洞だった。

 ホッとした。重く垂れ込めていた雲が動きはじめたような気分だった。