大ヒット韓国時代劇『赤い袖先』では、ジュノ(2PM)が演じたイ・サンとイ・セヨンが扮したソン・ドギムの宮廷ロマンスが描かれたが、2人を囲むキャストも多士済々だった。
今回は、カン・マルグムが演じた恵嬪(ヘビン)ホン氏を取り上げてみよう。
■『赤い袖先』2PMジュノが演じるイ・サンの母、恵嬪ホン氏はどんな人物だったのか
まずは、実際の恵嬪ホン氏の史実を見てみる。彼女が思悼世子(サドセジャ)と結婚したのは1744年だ。1750年に長男の懿昭(ウィソ)を産んでいるが、1752年に早世してしまった。王宮は悲しみに包まれたが、すぐに朗報がもたらされた。二男のイ・サンが誕生したのだ。
恵嬪ホン氏はさらに2人の娘を産んだ。1754年に清衍(チョンヨン)、1756年に清ソン(チョンソン)である。この2人は『赤い袖先』にもよく登場してくる。
イ・サンは「満1歳で文字を覚えた」というほどの神童だった。恵嬪ホン氏は二男の成長を本当に楽しみにしていたが、その二男が10歳だった1762年に人生が暗転した。夫の思悼世子が英祖(ヨンジョ)の命令によって米びつに閉じ込められて餓死したからだ。
思悼世子は罪人扱いになったので、その影響は妻の恵嬪ホン氏にも及んだ。彼女は王宮を出されて二男とも3年ほど別々に暮らさなければならなかった。その時期が恵嬪ホン氏にとって「涙の日々」であったことだろう。
しかし、耐え忍んだ末に二男のイ・サンは世孫(セソン)として英祖の後継者の地位を確立し、1776年に22代王として即位した。それにともなって恵嬪ホン氏は恵慶宮(ヘギョングン)という尊号を受けた。
以後の彼女はイ・サンの名君ぶりを頼もしく見つめながら過ごし、1800年に我が子が亡くなった後も15年間の歳月を生きて1815年に世を去った。晩年には「ハンジュンノク」(漢字で書けば「閑中録」あるいは「恨中録」)という随想集を書いて、自分の生涯を詳細に記録している。
以上が恵嬪ホン氏の経歴だが、今度はソン・ドギム(成徳任)との関係を記しておこう。