僕が毎日通ったタシケントのバザールには、2階があった。といっても壁にそって円形の通路という2階である。そこにはクルミや干しブドウといった乾物系が置かれていた。その2階から1階の市場を飽きもせずに眺めていた。いちばん広いスペースをとっていたのが羊肉コーナーだった。国民の多くがイスラム教徒だった。その前にチーズコーナー、野菜コーナーもあった。しかし1ブロックから2ブロックを必ずキムチが占めていた。そこでキムチを売るのは、アジア系の中年女性が多かった。

 彼女らの両親は朝鮮から移住した人たちだった。朝鮮が北と南に分断される前の話である。旧ソ連領内に暮らしていたが、そこが崩壊していくなかで、中央アジアに誕生した新興国に移る人が多かった。仕事や安全を考えてのことだろうが、難しい決断だったと思う。

 もともと中央アジアには少ないながらも朝鮮系の人たちはいた。彼らに助けられてキムチをつくり、バザールの一角で店を開いたのだろう。

 ウズベキスタンの主食はパン。羊肉を食べることが多い。そんな料理にキムチは合う?

 僕は毎日のようにキムチを食べていた。バザールのキムチ売り場に行くと、同じアジア顔に親近感が湧くのか、店の女性は、少量のキムチを、「食べてみて?」とくれることが多かったのだ。そのキムチは辛みが弱かった。北朝鮮系だった。おそらく彼女たちの親の出身が北側なのだろう。タシケントのバザールの片隅でキムチを食べながら、ふとこんなことを思った。

「北側のキムチはサラダ感覚が強い……」

 そんな気がしたのだ。(つづく)

ウズベキスタンのブハラ駅。この街でも旧市街のバザールでキムチを食べていた