ソウルから電車で約1時間。黄海に面した大きな貿易港がある仁川。この街には韓国が海外と接してきた多くの歴史が詰まっている。
日本に併合される前、仁川には日本、清、イギリスやロシアなどの租界ができていた。その租界は朝鮮全体が日本の植民地になることで消えていくが、いまでも当時の街並みが残っている。
■仁川の街歩き、旧日本人街へ
仁川駅を降り、目の前に見えるのが中華街の門。横浜の中華街に似た門だ。そこをくぐると中国風の店が連なっている。ここが清の租界跡。坂の多い一角で、その東側、丘をひとつ越える感じで進むと長い石段に出る。
この石段をのぼった先にあるのが自由公園。マッカーサーの像もある。この石段が清の租界と日本の租界の境界線。日本租界跡はその東側に広がっている。
清の租界跡と日本のそれの違い。それは店の数だ。清の租界跡は中華街になったから、店がひしめいている。しかし日本租界跡は、日本風の建物や街並みを保存しようとする街づくりの方向に進んだ。
歩いてみるとわかるのだが、日本租界の建物の多くは石づくりで立派だ。太平洋戦争が終わり、日本人は引きあげていった。日本の神社などはことごとく破壊されていったが、仁川に残った建物は、壊すには惜しいほど立派だった。そんな建物への値踏みだけで残ったわけではないが、建造物が発する美という視点がまったくなかったといえば嘘になる気もする。
日本租界跡の入り口の通りには、土産物屋や日本グッズが手に入る店が並ぶ。日本風の飲食店もある。建物は木造で、おそらく仁川が観光地として注目されてから日本風に建てられた気がする。本物の……というか、戦前の石づくりの建造物はその先に広がっている。
石段を背にまっすぐ進んでいくと、左手に見えてくるのがかつて日本領事館だった建物。建物前の広い車寄せが威信を放つ。建物はロマネスク様式とか。いまは仁川の中区庁舎として使われている。
そこで道を右に折れ、ひとつめのブロックを越えると、日本時代の銀行の建物がつづく通りになる。東から長崎に本店があった旧日本18銀行の仁川支店跡、つづいて大阪に本店があった旧日本58銀行の仁川支店跡、そして東京に本店があった旧日本第一銀行の仁川支店跡……。
どれも味わいのある石づくりの建物だ。建物は平屋か2階建てだが、凝ったつくりで見ていて飽きない。建築に詳しい人なら目を輝かせるのかもしれない。
長崎の銀行跡から、長崎ちゃんぽんと韓国のちゃんぽんの話を思い出してしまう。
そこからブロックをひとつ越えたところにあるのが旧日本郵船の仁川支店跡。この建物も大きくはないが立派だ。