互いに黙ってしまった。いい味の料理であることはわかる。しかしそこから、どんぐりだけを抜きだすと、なんといったらいいのかわからないのだ。すいとんにしても、質のいいゴマの風味については口にできても、ゴマすいとんとなると……。
店のスタッフの中年女性の言葉が浮かんでくる。
「どんぐりは特徴のないというか、味がないんです。だから料理も研究して、アレンジを加えて工夫しています。どんぐりは人の手が入っていません。改良もされていない。まったくの自然。だから私たちはどんぐりを料理の素材に選んだんです」
店のコンセプトはよくわかる。しかし僕らはどんぐり料理を食べに店に入った。そのあたりとの折り合いがどうもつかないのだ。
最後にどんぐりのチヂミを口に運んでみた。このチヂミは上にチーズが載っている。とろりとしたリーズは、いかにも自然といった風味が伝わってくる。素材を選んでいる……という言葉がよくわかる。しかしその台になっているどんぐりのチヂミの味……。頭のなかでは、必至にどんぐりの味を探しているのだが、適当な言葉に辿り着かないのだ。
いや、そういう発想がいけないのかもしれない。きっと、どんぐりの味を評価しようとしてはいけないのだ。体にいい健康食であることは、食べてみればすぐにわかる。この店を切り盛りする女性たちがめざした世界だ。そのコンセプトは評価されているのだろう。見ると席はすべて埋まっていた。繁盛しているわけだ。
料理のレベルや素材の健康度を求めてやってくる人たちだろうが、彼らのなかには「どんぐり料理を食べにいこう」ではなく、「森の自然を食べに行こう」という会話が交わされているような気さえした。
ひとつの料理はそこそこの量があり、3品も頼んだから、食べ終えたとき、知人と僕は満腹だった。満足だった。しかし「どんぐり料理を食べにきた」という思いがなかなか捨てられない。これは日本人の悪い癖なのだろうか。店を出、江南の道を歩きながら、そんなことを考えていた。