ミシュランに何回も掲載されている平壌冷麺の店に入った。店に連れていってくれたのはソウル在住の知人だった。話の発端は、韓国と日本の料理を食べ歩くNetflix配信バラエティ『隣の国のグルメイト』である。同番組で『筆洞麺屋』という人気店で平壌冷麺を食べながら、出演者の人気歌手でもあり美食家のソン・シギョンさんが発した言葉に触発されたのだ。
グルメの食べ物らしい料理とは、一発でわかるものではなく、「これはなに? といった味の探求に値する料理で、その味を追い求めながら10回ぐらい食べると、麻薬のように忘れられない料理になっていく」という話だった。
■平壌冷麺の味を探求できるのか
昔から美食家とかグルメといわれる人が羨ましかった。その話をソウルの知人に伝えたのだ。だったら修行……というわけではないが、ソウル江南にある平壌冷麺の有名店『ポンミルガ』に連れていってくれたのだった。
11時に行ったのに、すでに店の前で待つ人たちがいた。店内をのぞくとテーブルは満席。店は江南のオフィス街にあった。店内や店の前で待つ人を見ると、ビジネスマンらしい人が何人もいる。ソウルのサラリーマンはなんという優雅な昼食を食べているのかと思った。日本のサラリーマンは、コンビニ弁当をオフィスの机で食べる人が少なくない。
頼んだのは1万4500ウォンの平壌冷麺である。日本円で1500円ほどする。
料理はさっと出てきた。店の案内では、毎朝、5時間をかけてスープをつくっているという。しかし出てくるのは早い。
『隣の国のグルメイト』で、ソン・シギョンさんは、まずスープを啜るようにいっている。僕もそれに倣った。器を両手に持ち、スープを飲む。
たしかに味わい深い。しかしなにかの味……という固有名詞に結びつかない。日本の冷麺のようなはっきりした味がない。こういうときは困って、「深い味わい」とか「複雑な味」というしかないのだが、僕もその言葉しか浮かんでこない。
以前、香港で悩む飲み物があった。香港のファミレスのような存在の茶餐廳(チャーチャーンテーン)では、朝、よく飲まれる鴛鴦茶だった。広東語でユンヨンチャーという。日本では紅茶コーヒーといわれる。紅茶とコーヒーを合体させたものだった。同行したカメラマンがこういった。
「これ、すごく疲れる飲み物ですね。頭で紅茶だと思って飲むと紅茶の味がする。コーヒーを意識するとコーヒー。味がヤジロベエのように頭のなかで揺れるんです」
飲んだ平壌冷麺のスープは、その悩みとは違った。ヤジロベエのようには揺れない。心地よさはあるが、なんだかわからない。
ソン・シギョンさんは、「こういうことをいっているのか」とも思った。その伝を当てはめれば、鴛鴦茶ははっきりした味だった。頭のなかは左右に揺れるが、両側に紅茶とコーヒーという確固たる味がある。しかし僕が飲んだ平壌冷麺のスープは、左右になにもない。茫漠というか、とらえどころがない。
平壌冷麺のスープには牛骨スープが入っているはずだ。しかし、「この牛骨スープの味が絶品ですね」とはいえないのだ。スープの味から固有名詞が導けないのだ。
「これはなんだろう」
その言葉はかなり深かった。これを探求していくというのは、気の遠くなるような気になってくる。その世界に果敢に挑むのがグルメといわれる人たちなのか。