2004年頃から紀行作家チョン・ウンスクとともにソウル以外の韓国の田舎町や北朝鮮、朝鮮文化を色濃く残す中国東北部を取材旅行するようになった。2010年頃までにあらかた踏破すると、それまで寝に帰る場所だったソウルが、西洋的洗練とアジア的猥雑さがまだらになった刺激的な都市であることに気づき、鍾路3街や乙支路3~4街、忠武路、永登浦、千戸洞を10年がかりで歩き回った。
コロナ禍を迎え、取材旅行は停滞したが、ようやく渡航が解禁になり、今年2月の釜山・ソウルに続き、6月末から釜山2泊・慶州1日の韓国観光公社主催の取材旅行に参加した。1989年に初めて韓国を訪れた自分に、釜山と慶州の変貌は大変刺激的だった。今回から数回に渡ってレポートをお送りする。
■釜山らしい風景
雨の釜山。金海空港から海雲台に向かうバスの中で車窓を眺めている。洛東江を渡り、右手に釜山らしい山々を見ながら東方向に進む。思い出すのは今から33年前の1990年。前年のソウル初訪問に続き、初めて釜山に来たときのことだ。
当時の釜山は全体的に煤けた印象で、積み上げられたコンテナとガントリークレーンばかりが目立っていた。散見される日本家屋もまだ現役感があった。それが今やソウルなみに高層ビルが林立している印象だ。釜山はソウルと比べると極端に山がちで、面積の半分近くが山である。平地が少ないので高層ビルは必然なのだ。
ビルとビルの隙間から山の斜面にびっしり貼りついた家々が見える。これが本来の釜山らしい風景だ。もともとは、朝鮮戦争のとき半島北部から避難してきた人たちが建てた仮住まいである。
そんな釜山らしい風景をじっくり観られる映画が、ファン・ジョンミン主演『国際市場で逢いましょう』、ソン・ガンホ主演『弁護人』、チェ・ミンシク&ハ・ジョンウ主演『悪いやつら』、ユ・アイン主演『カンチョリ オカンがくれた明日』、ユ・オソン&チャン・ドンゴン主演『友へ チング』だ。
なかでも、625(朝鮮戦争勃発)のとき半島北部から釜山に避難してきた主人公ドクス(ファン・ジョンミン)の波乱の生涯を描いた『国際市場で逢いましょう』は、釜山の風物をよく捉えている。年老いてからようやく平穏に暮らせるようになったドクスが、妻ヨンジャ(キム・ユンジン)と思い出話をするシーンは、山の斜面に建てられた多世帯住宅の屋上で撮影されている。
ドクスとヨンジャの背中越しには、チャガルチ市場のある南港とロッテモールと影島大橋が、左手には龍頭山の上にそびえる釜山タワーが見える。釜山旧市街がどんなところか、一目でわかるシーンだ。