ソウル刺身丼(フェトッパ)。出てきたのは、野菜の上に載ったマグロのぶつ切りの丼。それとは別の器にご飯。そしてみそ汁。一緒に入った韓国人の知人は、韓国風刺身丼をつくってくれた。

 まず野菜とマグロに酢入りコチュジャンとゴマ油を入れて混ぜ混ぜ。さらにそこにご飯を投入して混ぜ混ぜ。できあがったものは、ビビンバの刺身版のような代物だった。ビビンは混ぜるという意味だというから、刺身(フェ)と合わせて、ビビンフェ? まさにそんな丼を韓国人の知人はつくってくれた。

■よく混ぜられた刺身丼、その味は?

 日本のマグロ丼を想像していた僕は、予想を完全に裏切られ、食指は動かなかった。

 しかしここはソウル。知人はしっかりと混ぜてくれた。食べないわけにはいかない。そこでひと口……。

 優しい味だった。マグロ、野菜、コチュジャンなどが適度に味を主張し、全体に調和している。いい味なのだ。料理が出てからはマイナスの戸惑いばかりだったが、それがプラスに転じていった。

 混ぜ混ぜ刺身丼を食べはじめた。味が穏やかだから食べやすい。3分の1ほど食べた頃からだろうか。しだいにスプーンの動きが悪くなってきてしまった。

 同じ味なのだ。

 韓国人の知人が丁寧に混ぜ混ぜしてくれた刺身丼である。野菜と刺身を混ぜた時間も合わせると、十分以上混ぜてくれた。だから味が均一になるのは当然だった。しかし同じ味を連続して食べつづけると飽きてきてしまう。日本食に慣れているからだろうか。

 ニュージーランドのフィッシュアンドチップスを思い出していた。そのときは田舎にいて、町にあるのは高級そうなレストラン一軒とテイクアウト専門のフィッシュアンドチップスの店しかなかった。食べても食べても減らないフライドポテトを口に運びながら、

「同じ味を延々に食べることができるのは、才能だよなぁ」

 とひとり呟いていた。

 中国北部の餃子専門店で餃子を食べたときもそうだった。大皿に水餃子が30個以上……。それがどれも同じ味なのだ。たれでアクセントはつけるものの限界がある。そのときも、日本人の味覚というか、食べ方との間にある溝のようなものを感じていた。ある意味、韓国人の味覚は大陸的なのかもしれない。

 しかしせっかくつくってくれた混ぜ混ぜ刺身丼である。つけ出しのキムチなどで、若干の味変を試みつつ、なんとか食べ終えた。

 後日、この話を、ソウル在住の日本人に話してみた。皆、刺身丼には悩んでいた。

「あれ、私、苦手。別々に食べればずっとおいしいのに、なぜ混ぜちゃうの? っていつも思ってました。韓国人は皆、なんの疑問をもたずに混ぜ混ぜするでしょ」

 しかし、ひとりの日本人男性がある食べ方を教えてくれた。